目白蕪木「ちょいと失礼」

映画や本や趣味などを失礼ながら好き勝手に綴ります

ライドライクアガール

オーストラリアの競馬にまつわる家族の実話

 

ほぼ忠実に再現しているようだ

 

主人公のダウン症の兄も本人が出演している

 

やはり物語は実話には叶わないかと思わせる

 

とにかく女性である主人公の強さが桁外れに凄い

 

10人いる兄姉の末っ子だが他の子供たちがどうなのかは描かれていないので分からない

 

亡くなった母親の血か

 

それとも突然変異か

 

はたまた兄姉に揉まれタフに育ったか

 

その全てかもしれない

 

100年以上の歴史を誇るメルボルンカップで女性騎手が優勝したのは初めてなのだが彼女のコメントにこうあった

 

女には優勝できないと見下していた男たちの鼻を明かしてやってとても気持ちがいい

 

ここにヒントがありそうだ

 

まず父親との確執

 

同じ機種の姉を落馬で亡くしている父は、たぶん末っ子の最も可愛い娘を同じ目に合わせたくないし自分も合いたくないと思い、自分の手元で見守ろうとするのだが、外の世界に羽ばたきたい娘は言うことを聞かない

 

次に、単身活躍の場を求めて行くが女性であるが故に男どもに相手にされない

 

一人の若い男は、やらせてくれたらと言い、彼女が車の中で涙ぐむシーンがある

 

あまり大袈裟には描いていないので伝わりにくいが、彼女が目指したものはお金や名誉ではなく、男を見返してやる一点だったのではないだろうか

 

だからこそメルボルンカップの出走前に、兄と馬に言うのだ

 

よし、やってやるかと

 

それにしてもライドライクアガール というタイトルは何を意味しているのだろう

 

直訳すれば女の子のように乗るだが

 

まさか日本的に前から読んで乗るのが好きな女の子ではあるまい

 

少女のように乗れ、かもしれない

 

本当のミシェルペインは今35歳らしい

 

もう一つすごいのはこの映画の監督は、レイチェル・グリフィスという52歳の元女優で長編はこれが初めてということだ

 

余計なものを排除し重要なもののみを際立たせるセンスとスキルに脱帽する

 

見事な映画であった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

推し、燃ゆ(読み始め) 宇佐美りん氏に関して

読み始めた。

 

文藝春秋で掲載された彼女のインタビューも読んだ。

 

そこから見える姿は、特別な感性と特別な表現力の両方を兼ね備えている生粋のアーティストである

 

「かか」で描いたような愛憎劇はもちろん経験してはいない

 

全ては頭の中で描いた物語だろう

 

ただ感性が豊かなだけに設定した登場人物の思いに自分を寸分なく合わせることができる

 

その人物の視点でモノが見える

 

例えは悪いが巫女さんみたいなものか

 

ある事象を見る、経験する、時にほとんどの人が取る視点を彼女は取らない

 

異なるものを見、異なるものを感じる

 

それはなぜなのか

 

それが芸術家であると言ってしまえばそれだけなのだが

 

一流の木彫りの芸術家は彫る前の木を見て、その中に内包されている彫り上がりの姿が見えるという

 

大胆に推測する

 

彼女はさまざまなものを見、聞き、経験して、自分の頭か心か分からないが、そこにぼんやりしたものを見始める

 

木彫りを彫る前の木の状態だ

 

徐々にその映像というかビジョンが具象化されてくる

 

まだ彫らない、つまり書かない

 

具象化が決定的なりそれが形を変えて熱情にまで昇華されてくる

 

ようやく彫り始める、つまり書き始める

 

ここからは計算が入る

 

細かく細かく

 

何度も何度も

 

誰もが何かからぼんやりしたものが見えることはある

 

アーティストならそれを形にしたいと思うのだ

 

絵でも音楽でも小説でも俳句でも彫刻でも

 

驚くべきは全ての人はアーティストなのだ

 

表現形が異なるだけで

 

全ての人の共通点は、自分の人生そのもので表現していること

 

彼女は、書くという行為で感じたものを表現し、その人生を通じて自分を表現している

 

どれほど素晴らしいビジョンであっても、木彫りのノミを扱う力量が足りていなければそれを表現することは叶わない

 

彼女の場合は幼少期からその腕を磨ける環境にあった

 

やはり藤井聡太に相通ずるものがある

 

才能と力量の融合だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8番目の男

裁判員裁判を初めて導入した実話に基づく韓国映画

 

面白かった

 

相当脚色されている印象はあったが

 

確かに実話仕立てではドラマ性に欠けるようにも思うのでそれはそれでいいのだろう

 

ただ陪審員の要望による実況検分などが行われたのが真実ならやはり興味深い

 

やるなあ韓国と言ったところか

 

日本ではちょっと考えにくい

 

それだけ硬直しているような気もする

 

コロナ流行で世界の国の様々な違いが明らかにされてきたように思う

 

やはりアメリカの底力

 

中国の強権

 

台湾の意思

 

ニュージーランドのトップの徹底力

 

翻って日本だ

 

いい意味でも悪い意味でもムラ社会なんだなあと感じさせる

 

全てが合意に基づく

 

独断専行は許さない

 

しかい一方で強いリーダーシップを求めたりもする

 

不思議な国民性だ

 

昨晩、NHKだったと思うが、フランスから来て武豊の記録を塗り替えた天才ジョッキーを取り上げていた

 

元?嵐の相葉くんがインタビュアーだった

 

印象的だったのは3つ

 

その天才ジョッキーがG1レースで、予想もしない位置から勝負をかけ優勝したことに対し本人は、その決断を恐れなかったと言ったこと

 

次にそれを聞いた武豊が、恐れなかったのが凄い、勝手に動いたら叱られるみたいなことを言ったこと

 

最後に、相葉くんが何度も刺激を受けたと語ったこと

 

武豊と相葉くんはやっぱり日本人の感覚で、フランス人ジョッキーは個人の自由を重んじる国の感覚なんだと

 

面白いのはフランスなどは、強硬なロックダウンを繰り返していて市民が反発もしているのだが、それでも国の裁量権の自由度も個人の自由と同じように認めているのだろう

 

日本は個人の自由も我慢するが国の自由も制限する

 

話が脱線したが

 

面白い映画で陪審員それぞれのキャラもうまく描いていたし、韓国映画お得意の犯人とされる家庭環境の悲惨さなどもレイヤーのように活かされていて良かったのだが一点だけ

 

日本語タイトルの「8番目の男」はいただけないかな

 

もうちょっと良いタイトルはなかったかと少しばかり思ってしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不毛地帯 映画版

もちろん山﨑豊子の原作が素晴らしいことは言うまでもない

 

しかし映像化された不毛地帯もまた素晴らしい

 

重厚にかつ精緻に作られている

 

3時間もの映画ながらあっという間である

 

監督も脚本も素晴らしいのだろう

 

また主人公を演じる仲代達也のこれ以上ないという演技、彼を取り巻く俳優陣の凄さなど全てが第一級品である

 

このような重厚な日本映画が作られることはもうないのだろうか

 

サスペンスで言えば砂の器のような

 

なんでもそうだが商業主義が強過ぎる

 

小説教室の講師でさえ売れるか売れないかの視点から語る

 

そんなものは金太郎飴でしかないだろう

 

読んだ後、見終わった後にドーンと魂に響くような作品を読みたいし見たい

 

不毛地帯は、軍人の友情を軸に、安保問題と絡めて政治とビジネスの世界の人間の欲を見事にそして無常感たっぷりに描き出す

 

それにしても山﨑豊子の取材力の凄まじさ

 

あれだけ人間の内面を抉り出すことが出来るのはよほど取材相手の懐に入らないと見えてこないだろう

 

そして構想力

 

いやあ恐れ入った

 

すご過ぎる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かか 宇佐美りん著

 

 熱情か計算か

 

絵画で言えばキャンパスに原色を書き殴るみたいなイメージか

 

ピカソのように、写実のレベルは遥かに超え抽象に至っているとも思えない

 

子供がぐちゃぐちゃに書いたらとんでもない絵になったか

 

実は相当な計算が働いていると思っている

 

緻密な計算が

 

それが宇佐美りん氏の凄さなんだろう

 

取り上げたテーマである、離婚した母の精神障害と娘との愛憎、彼女たちを取り巻く家族との愛憎、そう、これは人間の愛憎劇だろう

 

テーマ自体の色が原色だ

 

パステルカラーのような淡い色はどこにもない

 

赤、黒、白のイメージ

 

それを思わせるように血の色がよく描かれる

 

そして文体

 

これも計算づくだろう

 

テーマにマッチしている

 

人称もそう

 

全てを計算して読む人がどう読むかがわかっている

 

将棋で言えば藤井聡太くらいの天才なんだろう

 

ただ一点、あのラストはどうなんだろうとは思った

 

推し、燃ゆで芥川賞を取ったがまだ読んでいない

 

読むのが楽しみだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日のまえに 重松清著

泣けると題した帯に釣られ読んでみた

 

氏の著作は以前短編を一つ読んだことがあるくらい

 

その時にも感じていたのだが、この本からもどうしても現実感みたいなものが得られないなと思ってしまった

 

なんだろう

 

自分の側に問題があるのかな

 

つまり人の生死にまつわる心情の機微を扱う内容なのだが、なぜか違和感を抱いてしまうのだ

 

もちろん描写や文章の巧さは素晴らしい

 

ストーリーもよく練られている

 

なんなんだろう

 

例えば、奥さんが亡くなって3ヶ月後くらいに担当ナースが奥さんが生前に書いた手紙を持って現れると言うくだりがある

 

そのまま読めばなんてことはないのだが

 

3ヶ月後と言う時点、担当ナースがわざわざ持ってくる点、そして手紙の内容の3つに違和感を覚えてしまうのだ

 

生前の奥さんが3ヶ月後に手紙を渡して欲しいと担当ナースに頼むと言う設定なのだがなぜ奥さんはそう考えたのか

 

もちろんこれは手紙の内容と関連してくるが、となるとそれは果たして3ヶ月後なのだろうか

 

二人の幼い子供と愛する夫を残してこの世を去る女の人が残す手紙の内容と残された者に送る時期を想像してみると果たしてこうなるだろうか

 

自分なら愛する妻がこのように去った3ヶ月後に心の傷が癒えているとはとても思えず、仕事の忙しさで気が紛れることはあっても毎日毎時間ふと思い出すだろうと思う

 

なぜそう思うかといえば、以前、直属の部下だった男が自殺した際、彼を毎日思い出さなくなるのに、3ヶ月以上は間違いなくかかった記憶があるからだ

 

比較するものでもないが、妻であれば数年はかかるのではなかろうか

 

奥さんは「忘れてもいいよ」と言う一文だけの手紙をナースに託す

 

ここには、忘れて欲しくない気持ちと忘れて新たな人生へと歩み出して欲しいと言う複雑な気持ちを表しているように思うがやはり現実離れしているように感じる

 

まず何より息子二人に向けて思いの丈を書くだろうし、夫にはいい女性でも見つけて幸せになって欲しいとの思いとそうは言いながらも自分を忘れて欲しくないと言う気持ちがあるだろうが、最後にはやはり自分を忘れて幸せになってと書くのではないだろうか

 

人は最後には愛する者のために去る覚悟を決めると思えるのだ

 

つまりそれだけ「忘れていいよ」の一文には残された者を縛る力があるのだ

 

そうであれば、いつ読んでもらいたいか

 

生前に渡す人もいるだろうしそっちの方が多いように思う

 

自分が去ってから読んで欲しいという場合はやはり意図があるだろう

 

余計に悲しませたくない、もちろん幼い子供には特にそうだ

 

では夫にはどうか

 

妻であり母であるが女性は母としての思いの方が強くないだろうか

 

自分がこの世に産み落とした二人の子供への思い

 

まだ幼いゆえに余計にそのように思える

 

となると、夫への手紙とそれぞれの子供への手紙の3通を書き、生前に夫に渡し、自分が去ったら読んで欲しい、子供への手紙は、まだ幼いから例えば15歳とか20歳とかになったら渡して欲しいとか、そんな風に考えないか

 

もし、子供のいない夫婦ならまだわかるが

 

そして担当ナースに3ヶ月後に渡して欲しいと頼むだろうか

 

奥さんの実家がどこかは書いていないが、いよいよという時になって、飛行機でやってくるとあるからそれなりに遠い距離なのだろうが、当然、奥さんの両親には病気のことは話してあるはずだし、そうなれば父親はともかく母親は娘のそばにいてあげたいと思うだろう

 

となれば母親に渡しておかしくない

 

あまり両親との関係性は描かれていないが、母親と娘の絆はそれこそとんでもなく強いはずだが

 

やはりそう考えてくると違和感の正体は担当ナースに委ねる設定にあるのかもしれない

 

担当ナースや主人公の仕事に関係する男性の物語は、この前に書かれているので、その日の後でと言う物語の中でそれらを関連させ登場させようと思い立ったのかもしれない

 

あとがきに書かれている内容からそうなのかもしれないなと思えた

 

いずれにせよ氏のタッチは重い生死の機微より、もっと日常に浮かぶ見落としがちな心の揺れ動きみたいな軽いものが合っているように思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンクオアスイム いちかばちか俺たちの夢

2019年のフランス映画

 

スウェーデンの男性シンクロナイズドスイミングチームの実話が題材のようだ

 

相当脚色はされていそうで、少し作り込み過ぎたかと思わないでもないが、面白い

 

中高年の男(たち)が生き甲斐を見いだせず無為な生活を送るが何かをキッカケに前向きに生き始めるというテーマは他にもいくつかある

 

女性目線では分からないし、若者からも支持されるかどうか分からないが、我々おっさん世代には共感を呼ぶ内容になっている

 

群像劇っぽく描いていて、7人?の男のうちの主に4人と2人の女の人生劇場が展開する

 

シナリオは非常によく作られていて展開を飽きさせない

 

難点は先読み出来てしまうことくらいかもしれない

 

つまりそれぞれの問題を抱えた人たちという設定が少しありきたりに感じてしまうのだ

 

それは欲張りすぎかな

 

上下の振幅がもう少しあるとさらに心には響きそうだ

 

例えば、アルコール中毒の女性コーチが酔って交通事故で亡くなるとか

 

いやそれはないか

 

全編を通じてのフランス映画ならではのユーモアとペーソスがふんだんに盛り込まれているのがこの映画の良さなのだから

 

ああ、面白かったとはなるし見終わって清々しい気持ちになる良作

 

同じくらいのオヤジにはぜひ見てと勧めたくなる