目白蕪木「ちょいと失礼」

映画や本や趣味などを失礼ながら好き勝手に綴ります

将棋の子を読んで 2

陣屋事件

 

改めて調べてみると1951年の話だ

 

毎日新聞主催の第一回王将戦で、木村義雄名人・王将(前年まではノンタイトル戦)に

升田幸三八段が挑戦した

 

陣屋事件の前に大きな出来事がある

これもこの事件の前触れになったかもしれない出来事だ

 

王将戦ではそれまでにないシステムが導入された

 

三番手直りの指し込み制である

 

分かりやすく言うと、七番勝負で、三連勝とか四勝一敗とか三つ勝ち越すと、平手から

香落ち(半香)に手合が変わると言うシステムである

 

もちろん現在にはない

 

マチュア的にいえば

 

よし将棋するかで、平手、つまりハンディなしで始まる

 

片方が三勝したとする

 

お前、弱いから香を一つ落としてやるよ

 

こう言う話だ

 

これがプロの世界にもあったのだ

 

ただ、王将戦までは四番手直りだった

 

四つ差が開かないと香落にはならなかった

 

そして三番手直りの指し込み制を初めて採用したこの第一回王将戦では、五局を終えて

升田幸三の四勝一敗となり、タイトルを獲得すると同時に、とうとう木村名人を相手に指し込みが成立することになった(当時は七番勝負を全て行った)

 

名人に香落で指す

 

将棋界を揺るがした大事件だった

当時のある八段棋士は、終戦玉音放送よりショックだったと語っている

 

そして、香落となる第六局、場所は神奈川県の鶴巻温泉にある「陣屋」

 

主催者と升田幸三の間では以前にも名人戦でトラブルがあった

 

そのためかどうかは定かではないが毎日新聞升田幸三に迎えを出さす、陣屋まで一人

で来るようにさせた

 

今ではあり得ないことだが

 

2月中旬のことだ

 

寒い中、升田幸三小田急で向い歩いて陣屋まで向かう

 

玄関について大声で呼ぶが誰も出てこない

 

30分ほど玄関で待つがとうとう堪忍袋の緒が切れた升田幸三は陣屋を立ち去り他の旅館に行って酒を飲み始める

 

将棋連盟は、升田幸三を取りなそうとするが頑として聞かず対局が行われることはなかった

 

さらに、将棋連盟は升田幸三のこの行動を重く見て、一年間の対局停止と第一期王将戦タイトルを剥奪、王将位を空位とする処分を発表した

 

ところが多くの棋士からの異論が噴出し、最後の裁定は木村義雄名人に委ねられる

 

木村義雄名人は、処分撤回を行うとともに、王将戦の第六局は升田の不戦敗とし、第七局は

平手で指して升田に負ける

 

こうして升田幸三が初代の王将位を獲得した

 

これが世にいう陣屋事件の顛末である

 

では何が凄いか

 

もちろん升田が木村に指し込んだと言う事実は凄いことだが本来実力差が紙一重ほどもないプロ棋士の世界では十分ありうる話である

 

まず第一に、升田幸三は打倒木村を謳っていたが、いざ香落となると名人の権威を失墜させるのではないかと、第六局を棄権しようかと考えていたことだ

 

ここにプロ棋士の純粋さを見る

 

ここからはあくまで自分の推論だ(希望でもある)

 

升田幸三は、陣屋の前で本当に30分待っていたのだろうか

 

玄関に行くには行ったが、迷った挙句、どうしても木村義雄に対し香落を指すことができずその場を去って他の旅館に行ったのではないか

 

言い訳を毎日新聞と陣屋の対応の拙さにしたのではないか

 

そして木村義雄はそれを感じ取り、最終的にあのような裁定を下したのではなかったか

 

そう思わせる事実が一つある

 

第一期王将戦の決着の後、升田幸三は陣屋を訪ねる

 

陣屋に迷惑を掛けたと気にしてのことだ

 

陣屋側は升田を歓待し、升田がその時に詠んだ句がある

 

「強がりが 雪に轉(ころ)んで 𢌞り見る」

 

自分が偉そうに強がったばかりに周りを見ることができなかった

転んでようやく気づいたと言った自分を卑下した句と捉えられている

 

これほどまでに、本当は心根の優しい男だ

 

もちろん勝負には辛い

 

木村にも負けたくはない

 

しかしすでに四勝一敗となった段階で決着はついている

 

その時の木村は名人とはいえ下り坂にあった

(この後、大山康晴に負けて引退している)

 

わざわざ名人位の権威を貶める香落を指す意味があるかと大いに逡巡しただろう

 

棄権しようと思ったくらいだ

(しかし棄権する理由もない)

 

あえて自分なりの推論による結論だ

 

升田幸三は陣屋での王将戦第六局をどうしたら良いものかずっと悩みに悩んでいた

悩んだまま陣屋の前までは行った

 

陣屋に入れば、指さなくてはならない

 

入るべきか入らざるべきか

 

迷った挙句彼はその場を去った

 

それがどうなるかは考えになかったかもしれない

 

将棋連盟の丸田祐三八段が説得に来るが、頑として断る

 

今更引けるわけがない

 

処分はどうあれ第六局は指さないと升田は決めたのではないか

 

木村の裁定でも、結局のところ第六局を升田の不戦敗とし、香落は指されなかった

 

これは升田の意向でもあったのではないか

 

長くなった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

将棋の子を読んで 1

自分は直接にプロ棋士を知っているわけではない

 

つまりこれから書くことはほぼ書籍の受け売りだ

 

まず持って前提として何が凄いかの定義は、よく言われる記憶力やプロになる厳しさと言ったものではない

 

自分の目から見て常人離れしている言動や行動を凄いと思っているのだ

 

もちろん頭の回転は恐ろしく速いし、知能指数や記憶力などは頭抜けているだろう

 

人間的にも優れた人が多い

 

しかしどこか凄みを感じさせる

 

普通ではないのだ

 

古い話から

 

木村義雄升田幸三の確執は有名な話である

 

木村義雄といえば、戦後初の永世名人であり、いまなお語り継がれる名人中の名人であり関東の代表棋士

 

升田幸三はこちらも実力、知名度共に並ぶところがないくらいの棋士で、木村義雄大山康晴と死闘を演じてきた関西の雄だ

 

升田幸三をみな、ますだこうぞうと呼ぶが、実際の本名は「こうぞう」ではなく「こうそう」なのだ

 

まずこう言うところからして凄い

 

木村義雄第14代名人は、人品共に名人の名にふさわしく、一方の升田幸三は態度から発言全てが対照的であり、正義漢と悪のヒーローみたいな図式がファンにはたまらなかったようだ

 

さらには関東と関西の戦い

 

今でいえば(最近言わないが)巨人阪神戦みたいなものか

 

ある時、升田幸三が言う

 

名人みたいなものはゴミだ

 

木村義雄が言い返す

 

名人がゴミなら君は何だ

 

ゴミにたかるハエだ

 

このやり取りが凄い

 

二人とも将棋界のトップ棋士なのだ

 

その二人はウケ狙いでも何でもなく本気で

 

そう、本気なのがまず凄いのだが、盤外でこう言うやりとりをするのが凄い

 

プロボクシングやプロレスといった興行じゃないんだ

 

観客動員数や視聴率なんてツユほども考えていない

 

そして有名な「陣屋事件」が起こる

 

長くなるので次回

 

 

 

奨励会 将棋の子を読んで

今年初めての投稿だ

 

新たな年を迎えたが、特に変わらない

 

初めてと言えば、正月に実家に帰らなかったくらいか

 

あと年末には常に夫婦以外に娘がいたものだがとうとう大晦日も二人きりだった

 

さすがに一抹の寂しさは感じたがこれも慣れるのだろう

 

お袋が80歳半ばで一人で年末年始を迎えたことを思えばまだ恵まれている

 

さて奨励会

 

元々将棋というか将棋界が好きだ

 

プロの将棋指しがどれほど凄いものか知っている人は知っているが知らない人は

全く知らない

 

当たり前か

 

よく例え話にこうある

 

10歳(小学校5年生くらい)にして、近隣在郷敵なしの子供が稀に現れる

 

地元では天才だともてはやされる

 

並居る自称強豪の大人たちをなぎ倒す

 

県アマ名人クラスと言っていいだろう

 

この少年たちが百人集まって一人プロになれるかどうかくらいの狭き門である

 

奨励会という組織はプロ養成機関になる

 

基本全てのプロ棋士はここを通過する(まれに例外はある)

 

ここで厳しい試験(つまり将棋で勝つことだが)をクリアして3段まで上り

最も厳しい3段リーグで上位2名のみが晴れて4段としてプロになる

 

まあ、詳細はいいだろう

 

たまたま将棋の子という本に巡り合った

 

大崎善生氏著作によるものだ

 

氏は映画にもなった聖の青春の原作も書いている

 

氏はたまたま(この世に偶然はないがあえて)将棋界に関わる仕事に就き

奨励会でもがき苦しむ少年たちと出会う

 

奨励会の厳しさはそれこそ半端ではない

 

自分もある程度は聞き知っていたが、実力本位の世界とはこれほどのものかと思い知らされる

 

将棋が好きで好きで、物心ついた頃から毎日が将棋づけになり、周囲から天才と言われ

自分もプロになるのが当たり前と思って入会するところが奨励会

 

ところがそこには同じような人間が山ほどいる

 

奨励会には退会規定があり、一定の年齢までにプロになれなければ辞めなければならない

厳格なルールがある

 

21歳までに初段(アマのではない)、26歳までに4段(つまりプロ)になれなければ

退会せねばならない

 

21歳の壁が越えられても、26歳の壁が立ちはだかる

 

将棋しかしてこなかった26歳の青年が、退会した翌日から何を目指して人生を送れるのか

 

そのような苦悶に満ちた彼らの人生模様を綴った本だ

 

寝る前に読むのだが、涙で途中が読めなくなる

 

かと言って絶望の涙でもない

 

そこには人が必死で生きていこうとする希望の芽みたいなものが垣間見える

 

ある種の清々しささえ漂う

 

その厳しい経験はいつか人生で役に立つ時が来る、というのは簡単だがそんな文句を

簡単には吐けないほどの厳しさが描かれている

 

逆に言えば、プロになり、さらにトッププロとなるほんの一握りの棋士たちの持つ

並々ならぬ何かにも驚かされるのだ

 

木村義雄大山康晴中原誠谷川浩司羽生善治、そしていまをときめく藤井聡太

 

藤井二冠はともかく、木村から羽生までの系譜は、将棋界をある程度知っている人なら

実力、人格共に将棋の神様に選ばれた名人としての正統なものとして認めるだろう

 

もちろん他にもトップ棋士は大勢いる

 

皆凄いのだ

 

何が凄いか次回

 

 

 

喜多川泰氏 運転者を読んで

喜多川泰氏の運転者と言う本を読んだ

 

アマゾンで何かの拍子に見つけて興味を持ったからだった

 

運を転ずる者

 

タクシーの運転手が、乗客の運を転ずると言う話だ

 

メインテーマはいわゆる「カルマ」である

 

それをより平易に誰にも分かりやすい表現で描いている

 

カルマは日本では「業」と訳されることが多く、どちらかと言うと悪い意味で

使われがちだが、実際には良いも悪いもなく、行った(言った)結果が必ず己に

戻ってくる原理を指す

 

いわゆる作用反作用の法則のようなものだ

 

自分に自信をなくし、努力なんて報われないと被害妄想のようになっている主人公が運転者によって人生の気づきを得ていく

 

非常に良く練られたストーリーとなっていて感心した

 

プラス思考のくだりなんかも上手に表現されている

 

多くの人の共感を呼ぶ作品だと思う

 

何か気づきの得られるようなものを作品としたいと考えている自分にとって

良い刺激となった

 

その意味において自分ならと思ったことがある

(作品を否定するものではない)

 

運を貯める、そして使うと言う視点だと、どうしても損得の意識から抜け出せない

(多分作者は分かっているがこのような表現をせざるを得なかったのだろう)

 

誰かのために行う無私の行動が、自分の運を貯めることになると言うのもやはり

詰まるところ無私ではないと言うパラドックスに陥る

(こちらもそう)

 

基本原則を明らかにしておこう

 

全ては「自分のため」なのだ

 

ただこれは究極の視点である(自分も頭で分かっているだけで経験できていない)

 

この真理を表現するのは極めて困難だろう

 

ただ少しでも近づきたいのだ

 

瞑想という手段でそれを自分の中に求めようとしている

 

モノを書くという手段でそれを外に表現しようとしている

 

この二つが自分の人生の目標となっている

 

この本の主人公に自分ならこう言ってあげたい

 

そのままでいいんだよと

 

もがき苦しむのが悪いわけじゃないし、自信がないのが悪いわけでもない

もちろん運が悪いと思っていても、努力が報われないと思っていても構わない

 

それでいいじゃないか

 

それをとことん味わったらいいじゃないか

 

上司や奥さんに罵られ、親不孝な自分を責める

 

それを他人のせいや生い立ちや環境のせいにする

 

もちろんそうするだろう

 

それでいいじゃないか

 

そうしている自分に気づくまで

 

そうしている自分から抜け出そうと思うまで

 

自分が一番下まで行ったと感じたならそこで何かを見つけるだろう

 

何かを悪いと決めつけることから自由になるということにも気づく時があるだろう

 

本当は悪いことなんて何もないんだから

 

映画「バーニング」と「終わった人」を観て

たまたま2本の映画を同時期に観た

 

「バーニング」は村上春樹の原作だったから

終わった人」は定年後の男を描いていたから

 

勉強になった

 

同じ2時間程度の内容でこれほど違うものか

 

もちろん「バーニング」が凄い出来だ

終わった人」には申し訳ないがこの対比はオモシロい

 

まず「バーニング」から

 

バーニングは燃えているということ

 

テーマのジャンルでいえば「なぜそれをしたか」である

 

勉強のために三行ストーリーを書いてみる

 

「朴訥な主人公が幼なじみの女性との出会いを通じて正体不明の

金持ち男と知り合うが最後にその男を焼き殺す話」

 

???ですな

 

この???がテーマであり観賞後の余韻を強くもたらす

 

別に謎解きでもなくサスペンスでもない

主人公に深く共感するわけでもない

 

ただ余韻が強い

キャラが立っているのだ

主人公、幼なじみの彼女(と主人公は思っているようだ)、正体不明の金持ち男

全てが妙な魅力に満ちている

 

村上春樹らしいといえばらしく原作の力に拠るところも大きいかもしれない

 

しかしやはり映像の力も大きいと言わざるを得ない

 

セリフは少なく映像は美しい

 

監督の力だろう

多分脚本も原作に忠実でありもちろん村上春樹も読んだに違いない

 

いまだに多くのシーンをまざまざと思い出せるほどだ

 

一方の「終わった人」は

 

三行ストーリー

「高学歴でスマートな主人公が定年を迎えるが自分はまだ終わっていない

 と新たな仕事に打ち込むが失敗し奥さんから卒婚される話」

 

同じく定年した身からはオモシロそうなのだが残念ながら観賞後に何も残らない

 

主人公の舘ひろしや奥さん役の黒木瞳など出演者に全く非はない

それどころか素晴らしい演技をしているとさえ思える

 

少々かじった生半可な知識で申し訳ないのだが・・・

 

まずテーマが分かったようでよく分からない

 

多分「卒婚」がテーマなのだろうがほとんどの内容は終わってない主人公の

再就職の成功と失敗が描かれる

この主人公の奮闘?と卒婚が実はマッチしていないのだ

俳句で言えば季語が二つあるような

 

つまりは原作というかシナリオというか脚本というか

どこかに問題があるのだろう

 

もし卒婚がテーマなら

(ちなみに卒婚とは婚姻関係は維持したまま夫婦生活は別々にという

 結婚生活のあり方らしい)

 

あれだけ奮闘する主人公は第二の仕事人生で成功せねばなるまい

奥さんも奥さんで自分の好きな美容院経営に乗り出す

つまり互いが定年を機に自分の歩む道を見出すが愛はしっかり

育まれていて卒婚という形を取るという話

 

次に終わっている人がテーマなら

 

主人公はまだ終わっていない、俺はまだやれると思っていることから

二つの選択肢がある

一つは奮闘の結果やはり終わっていたと自覚すること

(ただこれでは物語になりにくいだろう)

もう一つは奮闘の結果成功するが手痛い失敗もする

しかしその中から生きている実感を見出していく

最後は夫婦仲良く喫茶店経営でもいいし、若い頃二人が山登りが

好きで山小屋を開く話でもいい

 

いずれにせよ卒婚はいらない

 

それにしても勉強になった