目白蕪木「ちょいと失礼」

映画や本や趣味などを失礼ながら好き勝手に綴ります

将棋指し 芹澤博文

その昔、大橋巨泉氏のクイズダービーだったかと思うが、芹沢名人という愛称で呼ばれた将棋指しが芹澤博文である

 

将棋指しではなく芸能人と勘違いしていた人も多いかと思う

 

天才肌の棋士で、酒、ギャンブルなど何でも来い

 

話術も洒脱で棋士の中では抜群の知名度と人気があった

 

河口俊彦氏の書籍によって、自分が抱いていた芹澤博文のイメージが大きく変わった

 

山口瞳氏との交流も深く、血涙十番勝負という名著には、ある日、芹澤が自分は名人になれないと悟っておでん屋で泣いたという下りがある

 

それを山口氏や米長邦夫棋士が慰めたと

 

自分のイメージは多才ゆえの挫折であったかのように思っていた

 

河口氏によるとどうも違うようだ

 

大名人である大山康晴を始めとした本格派棋士から自分の将棋は認められていないと劣等感のような感情を抱いていたとある

 

たしか、プロの順位戦制度をおかしいと言い、C級2組まで落ちたうえ故意に負け続けたのではなかったか

 

その際には気骨のあるひとだなくらいに思っていたがこちらも何となく違っていたようだ

 

それでも異彩を放ち魅力的な将棋指しであったことは間違いない

 

51歳という若さでこの世を去った

 

友人である河口氏には、お前の2倍生きたから十分だと言ったそうだ

 

こういうところ芹澤博文らしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の傾向

最近の若者は集中力が落ちているらしい

 

スマホの影響ともいわれているようだ

 

スマホの画面を長時間見続けていると当たり前だが目が疲れる

 

目が疲れれば集中力が落ちるのは当然といえば当然である

 

しかし数年前から自分はある傾向を感じていた

 

それは圧倒的な情報量を処理するスピードが必要な社会に対する人間としての反応の変化だ

 

たとえば自分がビジネスマンであったちょっと前、一日に来るメールは少ない時で50通、多いと100通を超えていた

 

すべてをきちんと読んで対応していたらメール処理だけでも一日は終わらない

 

そこに会議や打ち合わせなどが分刻みで入る

 

予定がブッキングすることなどしょっちゅうだ

 

優先順位を考えることさえままならない

 

ではどうしたか

 

判断のスピードを上げるしかないと思った

 

いわゆる即断即決というやつだ

 

たとえばメール

 

表題を流し読みしどの程度の重要度かを即断しその場で処理する

 

会議や打ち合わせは会議設定者に半分の時間にするよう指示する

 

一案件にかける時間を短くするしか方法はないのだから

 

要は本当に必要なものに時間をかけられねばならない

 

そぎ落とさねばならない

 

今の若者がスマホから得る情報量も半端ないだろう

 

じっと全てを読む時間などない

 

流し読み一瞬で自分に必要か、興味があるかなどを判断する癖というか能力というか

そのような情報処理に慣れてきているのではないだろうか

 

自分もそうなってしまっている

 

映画などは最初の15分で判断する

 

最初の15分でこれはと思えなければすぐ止め、録画であれば消してしまう

 

なかには中盤から盛り上がる良い映画もあるだろうが、あくまで私見で恐縮ながら最初の15分でダメな映画はほとんどダメ(だった)

 

将棋でいえば(おかしいが)序盤をいい加減に戦うと負けが決まっているようなもんだ

 

マンガの人気が出る背景にも同じようなことが言える

 

マンガは基本一話ずつの構成になっている

 

スマホで読むのに最も適した形態だ

 

ちょい読みというやつだ

 

小説などもその傾向にある

 

ネット小説に適するのは短編であり一話構成だろう

 

本が売れないわけだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

升田幸三の孤独

河口俊彦氏の升田幸三の孤独を読んだ

 

人間味溢れる棋士、というより将棋指しと言う方が当たっている

 

自分の大好きなひとたちだ

 

どこか破滅的な匂いがする

 

自分にもそういうところがあるのだろう

 

惹かれる

 

もともと将棋というゲームには賭けるという要素があってそれによって稼いでいる職業を真剣師(師という漢字をあてているところが不思議で面白い)と呼ぶ

 

将棋のルーツはインドと言われている

 

最古の将棋の駒は平安時代に遡る

 

その後徳川幕府の時代に御城将棋となって大橋家など御三家が家元となる

 

その後明治に新聞棋戦となり徐々に将棋界は発展していく

 

まだまだ現代の隆盛に至るまでには紆余曲折の歴史があるがまたの機会に

 

升田幸三が活躍していた戦後の将棋界はやはり将棋指しの時代であったようだ

 

河口氏は本の中で多くの高名な将棋指しが酒で死んでいったと書いている

 

日頃は厳格で立派な棋士が酒を飲むと豹変し大暴れしたり、今でこそタイトル戦で

酒を飲むなんてことはないが、昔は普通にあったようだ

 

多能で天才肌の芹澤博文八段はもともとの酒好きに加え、ある日自分が名人になれないと気づき、酒で死のうと志したのは有名な話だ

 

将棋指しと酒は切っても切り離せない時代だったのだ

 

木村義雄から名人を奪い、長期間に亘って名人として君臨した大山康晴は下戸だったらしい

 

それが良かったのだろう

 

いつの時代に将棋指しが棋士となっていったのか

 

自分の私見に過ぎないが棋士でいえば中原誠からではないだろうか

 

もちろん大山康晴は偉大で不世出の大棋士ではあるが時代はやはりまだまだ将棋指しといっていいように思える

 

もちろん中原誠の時代にもユニークで型破りの棋士はいたがやはり升田幸三の時代に比べると破天荒ぶりが異なる

 

そして谷川浩司羽生善治とつながっていく

 

自分としては、羽生善治の出現によって将棋は競技ではあっても意味が変わったと思う

 

将棋は将棋道という道になったと

 

将棋は勝った負けたから究めるものになっていった

 

もちろん勝ちたいという気持ちに変わることはないが道として自分自身を高めることがそのための大きな手段の一つになった

 

羽生善治の本を読むとそのあたりの消息がよく現れている

 

自分に克つ

 

自分に克てねば将棋に勝てない

 

まさしく道だ

 

そしてすべての競技の本質は道だということが理解できる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

将棋の子 ふたたび

将棋の子

 

感動が深い

 

もちろんノンフィクションであるし、実話ならではの迫力が凄い

 

どんな世界にも厳しさや大変さは存在するが、奨励会ほどの過酷さはどうだ

 

幼少期から将棋一筋で25歳までやってきてプロになれない、つまり将棋(対局)でメシを食う道を閉ざされる

 

この自分自身に対する無力感や情けなさ、挫折の深さは想像に余りある

 

ただ一つ

 

この本に書かれている受け売りだが、だからこその希望があると

 

将棋そのものは楽しいものであり厳しいものではない、そして自分たちが将棋に献身したそのことそのものを誇りと思うようになる

 

奨励会を去って行った者たちがそういうことに気づくのには時間を要する

 

でもその時間と経験そのものが宝物だったと気づくときがくると

 

希望の物語なのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筒美京平氏を知った

齢80にして逝去された筒美京平氏のことを初めて知った

 

凄い作曲家だったんだな

 

ニュースで見たが自分の作りたいものより売れる(ヒットする)ものを作るという

言葉だ

 

作りたいものが出来た喜びより売れる喜びを取ったというような表現

 

これぞプロの面目躍如か

 

小説や脚本の手習みたいなことをしているわけだが自分としては趣味程度のもの

なので好きなことを好きなように書いている

 

しかし一方で世に出したい、見てもらいたいという密やかな欲求もある

 

自己顕示欲か承認欲求かまあなんでもいいのだが

 

そうなると自分の描きたいものが読み手からして共感したり興味があったり面白いと思って

もらえるかどうかが重要になってくる

 

筒美京平氏の作曲の特徴の一つは、口ずさみやすいフレーズにあるそうだ

どこか耳に残る、馴染みがある、覚えやすいなど

 

言うのは容易いが作るのはそうそう簡単ではないだろう

 

それが出来ないからみんな困ってるわけで

 

ただ最近気づいたことがある

 

大好きな寅さんや鬼平の共通点はキャラクターと人情味にある

 

あくまで個人的意見だが寅さんの場合は、実は寅さん一人では成り立たない

さくらやおじちゃんおばちゃんなど団子屋の家族がいないとダメだ

和食で言えば素晴らしく上手く炊けているご飯か

 

あの寅さんと家族のやり取りが料理のメインだ

マドンナははっきり言って美味しいおかずであろう

 

ずっと見てきてマドンナがメインに描かれている作品もあるにはあるが

正直魅力に欠けてしまう(山田洋次監督ごめんなさい)

どんなに美味しい和食でも美味しいご飯がなければ満足度が落ちるみたいな

ものだ

 

寅さんのキャラも実は単純そうで複雑だ

人生の機微が分かった単純さを持っている

これを映像で描くことは多分ものすごく難しいだろう

寅さんが単発映画だったらここまでは出来なかったんじゃなかろうか

 

鬼平の場合はなんと言っても盗賊の魅力がメインになる

そこに鬼平の凛とした強さとほろっとさせる人情味が絡み合いなんとも言えない

味となっている

鬼平の奥さんや部下とのやり取りなども登場するがこれも刺身のツマのような

もので決して深くは描かれない

描いてしまうとせっかくのメイン料理が美味しくなくなるからだ

 

両方ともメリハリが効いている

そして見る者を楽しませる

 

ここに見る者、読む者が面白いと心から思えるヒントがあるように思えるのだ

 

要はキャラと人情

 

鬼滅の刃というアニメが大ヒットだそうだ

 

読んでないからよくは知らないが映画を見たタレントさんたちの感想を聞いていると

人生の様々な要素が盛り込まれているらしい

 

つまりは単純な鬼退治物語ではないということだ

 

よく出来た物語というものは全てその要素を包含している

 

そして人生の様々な要素が集約されるものこそ「人情」ではないか

 

人情は英語でHumanityとなる

 

人そのものではないか

 

人類が普遍的に持っているものであり深い愛が表現されたものと言えるかもしれない

 

筒美京平氏に戻ろう

 

氏は音楽でそれを表現する稀有な能力に恵まれていたのではなかろうか

 

 

ホテルムンバイと山田洋次と池波正太郎

ホテルムンバイ

 

いやあ面白かった

 

2018年の映画らしい

 

いつもWOWOWでしか見ないからちと古いんだこれが

 

最新作を映画館で見られない

 

なぜなら映画館に行けないからだ

 

これには自分の側と映画館側の両方の事情がある

 

自分は2時間とかをじっとしてられない

(やっぱり発達障害なのか?)

 

これはもうずっと昔からだ

 

子供の頃はよく親父に連れてってもらって東宝映画かな

ゴジラシリーズを観に行った

 

たぶん子供なりに大好きだったのだろう

集中するので大丈夫だった

 

終わってからゴジラの絵を書いて映画館に出すと張り出されるのも

嬉しかったものだ

 

女房が演劇好きだ

 

学生時代は何度かミュージカルなども観に行った

 

劇団四季だな

 

面白かったし結構集中してたと思う

 

いつ頃からか

 

女房が自分とは映画には行きたくないと言い出した

 

理由は常に動き回って見ている私が落ち着かないのだと

 

そうかそんなに動いているのか

 

あれじゃあ後ろの人は気になってしょうがないよと

 

それからヤメたのだ映画館は

 

つまり我慢できない自分がいて我慢できない自分に我慢できない人がいる

 

誰も得しない

 

まあそれほど映画館でみることに情熱があったわけでもなしまあいいかと

 

基本狭いところに押し込められているのが苦手なのだ

 

野球観戦しかり

 

内野席の狭い椅子にいるより外野席の芝生で寝転んでいたい方だ

 

バックネット裏などあり得ない

 

あんなとこ何が面白いかね

 

野球場の広々した空気を吸ってビール片手にぼうっと見てるのが楽しいのだ

 

大学生時代にプロ野球のボールボーイのバイトをやったことがある

 

そりゃベンチは臨場感が違うよ

 

試合は見てられないけど

 

選手の個性がもろに見えて面白かったな

 

塁に出たり凡退したりするとバットやヘルメットを片付けにボックス付近に

駆けつけるのだが

 

親切な選手はバットやヘルメットを自分で拾って手渡ししてくれたりする

 

ところがある選手などは三振なぞしようもんなら取りに行った自分とは

全く違う方へ投げたりするのだ

 

こいつうと思ったりするがまあそれも含めて面白い

 

さてということで映画館には行けないのだ

 

ホテルムンバイ

 

文句なしによく出来た面白い作品だった

 

もちろん実話を元にしたものである

 

とは言いながら上質のサスペンスの皮をかぶらせて内側に人間の本質を

問いかけてもいる

 

淡々と描いている

 

ここがすごいのだ

 

どこまでが脚色かは分からないが最後のテロップでレストランのボスや主人公であろう

その部下のことは出てこないのであそこは脚色なんだろう

 

100名を超える無差別テロの死者を出しその半分がホテルの従業員だった

つまり従業員は客を守るために行動し犠牲になったという実話だ

 

そして今もそのホテルには当時の従業員たちが働いているらしい

 

レストランのボスが従業員を集めて逃げるか残るか好きなように選べという

感動的なシーンがある

 

ほとんどが客のためにそしてホテルのために残ると言う

あるウエイター長みたいな年配の従業員は35年もここで働いている

ここは自分の家だ

自分の家から逃げるわけにはいかないと言う

そして客が逃げるのを助けようと撃たれて死ぬ

 

これらも実に淡々と描かれている

 

決してヒーローとして描いてはいないのだ

そしてここが重要なのだが

女々しくと言うか粘着質というかお涙頂戴的というか感情に訴えるというか

 

そのようにも描いてはいない

 

もちろんあるセレブ富豪の奥さんの目の前で旦那が頭を撃ち抜かれ奥さんは泣き喚く

という感傷的なシーンもある

しかし不思議なことに全体を貫く非情なまでの犯人たちの正義感(彼らには彼らの

信ずるものがある)もしっかり描かれているせいで彼らがその夫を憎くて殺すの

ではないと理解しているためか悲しい気持ちにならないのだ

 

大した賞を受賞してない

 

これも不思議だ

 

テロを肯定はしていないがテロを起こす側の悲惨な必然性みたいなものもしっかり

掬い取っているのでそれが例えば犠牲者側の感情などを刺激するみたいな配慮も

あったのかもしれない(もちろん全くの個人的推論である)

 

そして昨夜池波宗太郎のBSで放映されたドラマ2本仕立てを見た

確か武家の恥とアホウガラスだったと思う

 

武家の恥はちょっと端折りすぎの感が強かったがまあまあ

ラストで場違いな歌が流れたのに驚いた

 

そして歌手はなんと城南海だった

 

自分は城南海が凄い歌い手(歌手ではない)だと思っている

 

ヒット曲に恵まれていないようにも思えるがなんとなく彼女は自分の曲で

勝負するようなレベルの歌い手ではないと思えるのだ

 

彼女の歌は真に聴くものの心を揺さぶるものがある

 

何を歌っても良い

彼女に合う曲を厳選すれば良い

そう、曲を彼女に合わせるのだ

 

ドラマの内容が吹っ飛んだ

 

そして続くアホウガラスが秀逸だった

 

10年ぶりにばったり合った兄弟を描く

大店の婿に入って主人となった兄と親父の跡を継いでハンコ職人になった弟

過去は特段描かれないが想像させる

 

よく出来た真面目な兄とどうしようもないやんちゃな弟

 

あんな展開は池波正太郎でしか味わえない

 

人情の機微を見事に紡いでいる

そして笑わせる

 

カラッとしている

湿ってない

 

それでも泣けてくる

その裏にあるものに気づかせてくれるからだ

 

凄いなあ

 

そしてやはり寅さんに通じるものがある

 

カラッとして湿ってない

それでいて笑わせ泣かせる

 

これらが成立する要因はなんだろう

 

思うに技術的なものではない

もちろんストーリーをこねくり回したものでもない

 

深い体験と人間観察

そして人間愛

 

彼らがこのように描くのは必然なのだろう

そうあるべきでありそうあるはずと思っているのだ

別に読者や観客の期待を慮っているわけではない

 

つまりだ

世に山の数ほど映画やら小説やらが有象無象に作られているが

詰まるところはどう作ろうが結局は作り手の人生そのものがそこに

投影されてしまうということに他ならないのだろう

 

西村某氏の小銭を数えるという小説を読んだことがある

文句なしに面白かった

彼は芥川賞を取っている(その作品は読んでない)

私小説を書いている

彼の人生が良くも悪くもそのまま描かれている

文体に特徴がある

しかし作り物臭さがなくストレートな表現が読む者に何か伝わる

 

彼の潔さがある

読者に媚びてはいない

(多分誰にも媚びていない)

生きるためか遊ぶためか金を無心するときに媚びることはありそうだが

 

要はそのような凄絶ともいえる人生体験から滲み出る者(あるいは上澄か)

を持つ者しか真に人の心を揺さぶるものは作り得ないということなのかも

しれない

 

山田洋次監督はいまだ健在ではあるが池波正太郎氏と合わせ

このような凄い人は今後日本の表現世界に現れうるのだろうか

 

最後に

ホテルムンバイは素晴らしい映画だ

ただしあの実話があったからこその映画でもある

あの映画を作った監督(もしくは脚本家)が一からあのような作品を

生み出してもらえるなら素晴らしいことだ

将棋の子を読んで 3

陣屋事件をその後もう少し調べてみると、升田幸三八段が第六局を指さないで済ませようとしたと言う推論は今の主流らしいことがわかった

 

やっぱり凄いな

 

次の話

 

これは自分が凄いと思っていることだ

 

自分が本格的?に将棋を始めたのは会社に入ってからだった

 

当時、同期入社の男がいて、そいつが将棋好きだった

 

もちろんルールは知っていたが、戦法など何も知らない

 

その男はいわゆる中飛車一本なのだが何度やっても勝てない

 

20連敗くらいはしただろうか

 

別に将棋で負けるのなんか悔しくも何ともなかった

 

単なる遊びだ

 

ある日の会社での昼休憩の際、その男が多くの社員のいる前で自分を指差して言い放った

 

こいつはどんだけ逆立ちしても俺には将棋で勝てへん

 

さすがにそこで火がついた

 

初めて本屋に行き将棋の本を買った

 

それが中原誠の「中飛車破り」だった

 

何しろそれまで同じ戦法で負け続けているものだから本を読むとなるほどと合点がいくことばかり

 

その通りに対策したらその男にあっさり勝ってしまった

 

そしてそこから負けることはなく嫌になったその男は自分と将棋を指さなくなってしまった

 

中原誠

 

永世名人の称号を持つ不世出の大棋士

 

実力はもちろん人品、風貌全てがさもありなんと思えるような人だ

 

木村義雄大山康晴ときて中原誠

 

その中原誠がなんと林葉直子と不倫をしたのだ

 

林葉直子とは美人女流棋士と言われ、米長邦雄門下の女流プロだ

 

芸能活動などもやっていたように記憶している

 

これには驚いた

 

いや驚きを通り越してなんと言うのか・・・言葉がなかった

 

とても本当だとは思えなかったのだ

 

不倫はまだしも、相手が身近にいる、しかもライバルと言って良い米長邦雄の弟子である

年の相当離れた林葉直子だなんて

 

驚きはさらにここからだ

 

記者会見のようなニュース映像が流れた

 

中心に中原誠がいる

 

最初の記者が質問を浴びせる

 

中原さん、林葉さんと不倫があったんですか

 

中原が何と言ったか

 

はい、ありました

 

記者たちは絶句

 

凄くないか

 

この後どうなったか実はあまり知らない

 

一番知りたいのは米長とのやり取りだが

 

はい、ありました

 

この一言は中原誠ならではと思わせるものがある

 

米長邦雄は他界しているが一体中原になんて言ったんだろう

 

二人のやり取りを自分なりに推定してみたい

 

中原は実直で真面目、米長は豪胆で洒脱

 

中原 米長さん、申し訳ない

 

米長 ホントにやっちゃったの、中原さん

 

中原 うん

 

米長 師匠である俺の前にやるのは良くないね(笑)

 

中原 (頭を掻く)

 

こんな感じか

 

でもやっぱり中原は凄い