升田幸三の孤独
人間味溢れる棋士、というより将棋指しと言う方が当たっている
自分の大好きなひとたちだ
どこか破滅的な匂いがする
自分にもそういうところがあるのだろう
惹かれる
もともと将棋というゲームには賭けるという要素があってそれによって稼いでいる職業を真剣師(師という漢字をあてているところが不思議で面白い)と呼ぶ
将棋のルーツはインドと言われている
最古の将棋の駒は平安時代に遡る
その後徳川幕府の時代に御城将棋となって大橋家など御三家が家元となる
その後明治に新聞棋戦となり徐々に将棋界は発展していく
まだまだ現代の隆盛に至るまでには紆余曲折の歴史があるがまたの機会に
升田幸三が活躍していた戦後の将棋界はやはり将棋指しの時代であったようだ
河口氏は本の中で多くの高名な将棋指しが酒で死んでいったと書いている
日頃は厳格で立派な棋士が酒を飲むと豹変し大暴れしたり、今でこそタイトル戦で
酒を飲むなんてことはないが、昔は普通にあったようだ
多能で天才肌の芹澤博文八段はもともとの酒好きに加え、ある日自分が名人になれないと気づき、酒で死のうと志したのは有名な話だ
将棋指しと酒は切っても切り離せない時代だったのだ
木村義雄から名人を奪い、長期間に亘って名人として君臨した大山康晴は下戸だったらしい
それが良かったのだろう
いつの時代に将棋指しが棋士となっていったのか
自分の私見に過ぎないが棋士でいえば中原誠からではないだろうか
もちろん大山康晴は偉大で不世出の大棋士ではあるが時代はやはりまだまだ将棋指しといっていいように思える
もちろん中原誠の時代にもユニークで型破りの棋士はいたがやはり升田幸三の時代に比べると破天荒ぶりが異なる
自分としては、羽生善治の出現によって将棋は競技ではあっても意味が変わったと思う
将棋は将棋道という道になったと
将棋は勝った負けたから究めるものになっていった
もちろん勝ちたいという気持ちに変わることはないが道として自分自身を高めることがそのための大きな手段の一つになった
羽生善治の本を読むとそのあたりの消息がよく現れている
自分に克つ
自分に克てねば将棋に勝てない
まさしく道だ
そしてすべての競技の本質は道だということが理解できる