その日のまえに 重松清著
泣けると題した帯に釣られ読んでみた
氏の著作は以前短編を一つ読んだことがあるくらい
その時にも感じていたのだが、この本からもどうしても現実感みたいなものが得られないなと思ってしまった
なんだろう
自分の側に問題があるのかな
つまり人の生死にまつわる心情の機微を扱う内容なのだが、なぜか違和感を抱いてしまうのだ
もちろん描写や文章の巧さは素晴らしい
ストーリーもよく練られている
なんなんだろう
例えば、奥さんが亡くなって3ヶ月後くらいに担当ナースが奥さんが生前に書いた手紙を持って現れると言うくだりがある
そのまま読めばなんてことはないのだが
3ヶ月後と言う時点、担当ナースがわざわざ持ってくる点、そして手紙の内容の3つに違和感を覚えてしまうのだ
生前の奥さんが3ヶ月後に手紙を渡して欲しいと担当ナースに頼むと言う設定なのだがなぜ奥さんはそう考えたのか
もちろんこれは手紙の内容と関連してくるが、となるとそれは果たして3ヶ月後なのだろうか
二人の幼い子供と愛する夫を残してこの世を去る女の人が残す手紙の内容と残された者に送る時期を想像してみると果たしてこうなるだろうか
自分なら愛する妻がこのように去った3ヶ月後に心の傷が癒えているとはとても思えず、仕事の忙しさで気が紛れることはあっても毎日毎時間ふと思い出すだろうと思う
なぜそう思うかといえば、以前、直属の部下だった男が自殺した際、彼を毎日思い出さなくなるのに、3ヶ月以上は間違いなくかかった記憶があるからだ
比較するものでもないが、妻であれば数年はかかるのではなかろうか
奥さんは「忘れてもいいよ」と言う一文だけの手紙をナースに託す
ここには、忘れて欲しくない気持ちと忘れて新たな人生へと歩み出して欲しいと言う複雑な気持ちを表しているように思うがやはり現実離れしているように感じる
まず何より息子二人に向けて思いの丈を書くだろうし、夫にはいい女性でも見つけて幸せになって欲しいとの思いとそうは言いながらも自分を忘れて欲しくないと言う気持ちがあるだろうが、最後にはやはり自分を忘れて幸せになってと書くのではないだろうか
人は最後には愛する者のために去る覚悟を決めると思えるのだ
つまりそれだけ「忘れていいよ」の一文には残された者を縛る力があるのだ
そうであれば、いつ読んでもらいたいか
生前に渡す人もいるだろうしそっちの方が多いように思う
自分が去ってから読んで欲しいという場合はやはり意図があるだろう
余計に悲しませたくない、もちろん幼い子供には特にそうだ
では夫にはどうか
妻であり母であるが女性は母としての思いの方が強くないだろうか
自分がこの世に産み落とした二人の子供への思い
まだ幼いゆえに余計にそのように思える
となると、夫への手紙とそれぞれの子供への手紙の3通を書き、生前に夫に渡し、自分が去ったら読んで欲しい、子供への手紙は、まだ幼いから例えば15歳とか20歳とかになったら渡して欲しいとか、そんな風に考えないか
もし、子供のいない夫婦ならまだわかるが
そして担当ナースに3ヶ月後に渡して欲しいと頼むだろうか
奥さんの実家がどこかは書いていないが、いよいよという時になって、飛行機でやってくるとあるからそれなりに遠い距離なのだろうが、当然、奥さんの両親には病気のことは話してあるはずだし、そうなれば父親はともかく母親は娘のそばにいてあげたいと思うだろう
となれば母親に渡しておかしくない
あまり両親との関係性は描かれていないが、母親と娘の絆はそれこそとんでもなく強いはずだが
やはりそう考えてくると違和感の正体は担当ナースに委ねる設定にあるのかもしれない
担当ナースや主人公の仕事に関係する男性の物語は、この前に書かれているので、その日の後でと言う物語の中でそれらを関連させ登場させようと思い立ったのかもしれない
あとがきに書かれている内容からそうなのかもしれないなと思えた
いずれにせよ氏のタッチは重い生死の機微より、もっと日常に浮かぶ見落としがちな心の揺れ動きみたいな軽いものが合っているように思う