ちょいとしつれいします

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ザリガニの鳴くところ(ネタバレあり)

本屋大賞翻訳小説部門第一位というよりも、著者が70歳にして初小説!に惹かれたんだな

 

どこかモデルの場所があるそうだが、ある湿地で暮らす貧しい少女の物語

 

色んな点で面白い

 

訳者あとがきにもあるが、サスペンスでもあり、推理小説でもあり、少女の成長物語でもあり、恋愛物語でもあり、湿地の変遷を描く社会派小説でもあり、生物に埋め込まれたDNAの不可思議さを描いたものでもある非常に重厚な作品となっている

 

著者が生物学者であり、湿地とそこで生きる様々な生物に知悉していることがバックグラウンドである

 

何しろ様々な自然環境や動物、植物、昆虫などの描写が詳細すぎるくらい詳細に描かれる

 

見知っている動植物や昆虫ならば興味も湧くが、あまりにも知らなさすぎて、読んでいて食傷気味になったのは正直なところではある

 

良い意味で言えば、少女がいかに一人きりで湿地で自然とともに生きてきたかという物語に重みを与えているので、本作に関しては成功しているのだろう

 

基本的なストーリーそのものは実はシンプルである

 

悲惨な家庭状況にめげず自然をお手本に強く生き抜く少女が、成長する過程で、少しずつ社会生活にも触れ合い、同時に恋愛を経験し、最後は殺人事件の容疑者として裁判にかけられるも無罪となり、湿地研究者として立派に成長する

 

そして真相が明かされる

 

こんな素晴らしい本だが、個人的にはもうちょい欲しいところがあるなあ

 

裁判からラストが急ぎ過ぎてるかな

 

もちろん専門外だからしょうがないのだろうが、自然描写との対比としてあまりに薄い感じがしてしまう

 

拍子抜けするといった方がいいかな

 

評決に至るプロセスが欲しいし、その後の64歳で亡くなり真相が分かるまでがそれまでの濃密さに比べでやっぱり物足りない感じ

 

これはあくまで勝手な推測だが、ラスト(殺人事件の結末)で描きたかったのは、主人公のカイアが自然から学んだ生き方であるということではないか

 

メスがオスを殺す、食べる・・・

 

自然界では普通のこと、生きるため、子孫を残すために当たり前のこと、自分も自然の一部、自分が生きるに当たってチェイスは不要な存在であり排除して当然

 

この見方がもし正しいのであれば、端折って64歳で死ぬまでを描かなくてもいいように思えるがどうだろう

 

作者としてはカイアが生きているうちに、テイトが真相を知るのは都合が悪いと思ったのだろうか

 

確かにカイアはテイトと暮らし、孤独から解放され、出て行った者がちゃんと自分の元に戻る安心感を得た

 

そういう意味では、ようやく普通の人が手にする当たり前の幸福を掴むことができたわけだが、彼女の心にはずっとそれも泡沫であると知っていて、いつでもたった一人きりで自然の中に戻る強さが備わっていたと思えるのだ

 

作者は自然の中で生きている人の本物の強さを描きたかったのではなかろうか