ちょいとしつれいします

映画や本や趣味などを失礼ながら好き勝手に綴ります

ヒアアフター

大好きなクリントイーストウッドの作品

 

タイトルを直訳すれば「これから」となるが映画としては「来世」らしい

 

知る人は知っていると思うが、クリントイーストウッドは瞑想者である

 

そのせいかとは思うが、スピリチャルな雰囲気のする映画も多い

 

これはその代表格かもしれない

 

女性キャスター、双子の男の子、霊能者の男性とそれぞれの人生が絡み合う

 

抑揚のないこの映画の何が面白いのかと思う人もいるとは思うが、僕にとってはとてつもなく面白い作品だ

 

女性キャスターの経験したこと、双子の男の子のお兄さんが言ったこと、霊能者の男性の苦悩などがよく理解できるからだ

 

クリントイーストウッドの素晴らしいところは、難しいスピリチャルな世界とこの現世をうまく表現していることに尽きる

 

決して「あの世」とかそれを知った人間とかを肯定もせず、素晴らしいことだとも言わせず、淡々と描く

 

一方で、現世で巻き起こる様々な事象をも正面から捉え、それも肯定も否定もしていない

 

まるで良い素材の料理を最低限の味付けで、はいどうぞと言われているようだ

 

加工品と凝った味付けに慣れている人からは物足りなくなるのだが・・

 

瞑想者の僕からすると、クリントイーストウッドは奇跡の存在かもしれない

 

あのような人はもう現れないかもなと思えてしまう

 

映画に戻ろう

 

有名女性キャスターは、津波にのまれ死の境を知ることで、仕事と彼を失う

 

麻薬漬けのシングルマザーの子供である双子の弟は、交通事故で兄を失い、その後、母とも離され里子となる

 

霊能者の男性は、死者との交流が、真実を知ることに繋がり、それが相談者にとって決して良い結果になるとは限らないと知ってその力を捨てようとする

ところが、料理教室で知り合った女性に好意を持ち、つい「見て」しまい、それが別れに繋がってしまう

 

三者三様の物語が展開する

 

それは共通のテーマを意味している

 

つまり「来世」の存在を知って確信してしまうことだ

 

それは時において現世においては混乱や軋轢を生みしてしまいかねない

 

ただそれは知った者が「成長」するプロセスの一つであるというのがこの映画の意味するところである

 

女性キャスターは仕事を辞め、作家になり、男の子は、兄に会いたい一心と地下鉄で帽子が飛ばされたことで兄の存在を意識するようになり、霊能者はやはり何かに導かれるようになっていく

 

そして三者はある場所で出会う

 

そして男の子は、霊能者に「見て」もらって兄に出会い、ようやく自分の足で歩き出す

 

女性キャスターは霊能者に出会い、互いが本能的に理解し合える相手だと知る

 

こうして人生は展開していく

 

ヒアアフターは誰にもある