推し、燃ゆ(読み始め) 宇佐美りん氏に関して
読み始めた。
文藝春秋で掲載された彼女のインタビューも読んだ。
そこから見える姿は、特別な感性と特別な表現力の両方を兼ね備えている生粋のアーティストである
「かか」で描いたような愛憎劇はもちろん経験してはいない
全ては頭の中で描いた物語だろう
ただ感性が豊かなだけに設定した登場人物の思いに自分を寸分なく合わせることができる
その人物の視点でモノが見える
例えは悪いが巫女さんみたいなものか
ある事象を見る、経験する、時にほとんどの人が取る視点を彼女は取らない
異なるものを見、異なるものを感じる
それはなぜなのか
それが芸術家であると言ってしまえばそれだけなのだが
一流の木彫りの芸術家は彫る前の木を見て、その中に内包されている彫り上がりの姿が見えるという
大胆に推測する
彼女はさまざまなものを見、聞き、経験して、自分の頭か心か分からないが、そこにぼんやりしたものを見始める
木彫りを彫る前の木の状態だ
徐々にその映像というかビジョンが具象化されてくる
まだ彫らない、つまり書かない
具象化が決定的なりそれが形を変えて熱情にまで昇華されてくる
ようやく彫り始める、つまり書き始める
ここからは計算が入る
細かく細かく
何度も何度も
誰もが何かからぼんやりしたものが見えることはある
アーティストならそれを形にしたいと思うのだ
絵でも音楽でも小説でも俳句でも彫刻でも
驚くべきは全ての人はアーティストなのだ
表現形が異なるだけで
全ての人の共通点は、自分の人生そのもので表現していること
彼女は、書くという行為で感じたものを表現し、その人生を通じて自分を表現している
どれほど素晴らしいビジョンであっても、木彫りのノミを扱う力量が足りていなければそれを表現することは叶わない
彼女の場合は幼少期からその腕を磨ける環境にあった
やはり藤井聡太に相通ずるものがある
才能と力量の融合だ