龍は眠る
宮部みゆきの作である
前回読んだ白夜行と同じく文量の多い作品である
なんだか似ている
どちらも心の闇、つまり世間に理解されない痛みみたいなものを描いている
と言ってもどちらもさして重くもなく、表面的に過ぎないのが残念である
サイキックなる二人の男
そんな能力を持った人間が世間から白い目で見られたり、知りたくないことを知ってしまう苦労ということもなんとはなしに理解できる
いや、多分理解できないだろう
ここに出てくる聾唖の女性と同じく
人は経験できないことは本当には理解できない
しかも経験したとしてもその本人と全く同じ体験でもない
だからこそ表面的にならざるを得ない
このようなテーマを扱うのはいいが、心の闇に踏み込む必要はない
彼らを理解しているという前提で書いてはいけない
あるいは理解すべきだという態度で
例えば、この内容でもほぼ最初の段階で論理破綻している
十六歳の少年はサイキックで、記憶を読み取れるとある
しかも人間だけでなくどんなモノからでも
ところがそれがいつの間にか記憶ではなく、読み取れるのが、思考に置き換わっている
記憶と思考は全く別物である
記憶は過去であり、思考は今である
さらにいえば記憶はイメージ=映像であり、思考は言葉である
映像から読み取ることと思考を直接聞く(知る)こととは全く異なるのである
分かりやすくいえば視覚と聴覚の違いなのだ
まず持ってそれが作者には全く分かっていない
それとあまりにもありきたりなトリック
あの封書や電話が狂言であることはすぐ分かるし、もしそうなら、誰がなんのためにと考えれば、昔の女の夫以外にないだろうことは自明の理である
なのでそれが明かされた時、逆にまさかと思った
しかもである、決定的に残念なのは必然性の乏しさである
夫は愛人である秘書と結託してこれを思いつき、ある男を雇って誘拐させたが、それを知ったサイキックの男が邪魔をして、なんとその男を殺してしまったという無茶苦茶なことになる
どうせ男を雇って妻を殺させるつもりなら狂言誘拐など全く必要がない
それこそ通り魔的犯行でもいいし、レイプ目的でもいいだろう
もちろん夫には動機がないわけではないので疑いの目は向けられるが、やった男との接点さえ見つけられず、アリバイさえあれば問題ない
狂言誘拐にしたのは、犯人が別にいるということにしたいためだろうが、動機のない主人公と金目当てでもないことがわかれば、狂言誘拐ではないかと推察されるに決まっているだろう
しかもあんな封書を出したり、男を雇って危ない橋を渡っているのだから、そちらの方がよほどバレやすいことくらい誰だって分かるはずだ
要は表層的なサイキックの心の闇とあり得ない狂言誘拐を組み合わせただけの、いかにも的ストーリーに過ぎなかった