ホテルムンバイと山田洋次と池波正太郎
ホテルムンバイ
いやあ面白かった
2018年の映画らしい
いつもWOWOWでしか見ないからちと古いんだこれが
最新作を映画館で見られない
なぜなら映画館に行けないからだ
これには自分の側と映画館側の両方の事情がある
自分は2時間とかをじっとしてられない
(やっぱり発達障害なのか?)
これはもうずっと昔からだ
子供の頃はよく親父に連れてってもらって東宝映画かな
ゴジラシリーズを観に行った
たぶん子供なりに大好きだったのだろう
集中するので大丈夫だった
終わってからゴジラの絵を書いて映画館に出すと張り出されるのも
嬉しかったものだ
女房が演劇好きだ
学生時代は何度かミュージカルなども観に行った
劇団四季だな
面白かったし結構集中してたと思う
いつ頃からか
女房が自分とは映画には行きたくないと言い出した
理由は常に動き回って見ている私が落ち着かないのだと
そうかそんなに動いているのか
あれじゃあ後ろの人は気になってしょうがないよと
それからヤメたのだ映画館は
つまり我慢できない自分がいて我慢できない自分に我慢できない人がいる
誰も得しない
まあそれほど映画館でみることに情熱があったわけでもなしまあいいかと
基本狭いところに押し込められているのが苦手なのだ
野球観戦しかり
内野席の狭い椅子にいるより外野席の芝生で寝転んでいたい方だ
バックネット裏などあり得ない
あんなとこ何が面白いかね
野球場の広々した空気を吸ってビール片手にぼうっと見てるのが楽しいのだ
大学生時代にプロ野球のボールボーイのバイトをやったことがある
そりゃベンチは臨場感が違うよ
試合は見てられないけど
選手の個性がもろに見えて面白かったな
塁に出たり凡退したりするとバットやヘルメットを片付けにボックス付近に
駆けつけるのだが
親切な選手はバットやヘルメットを自分で拾って手渡ししてくれたりする
ところがある選手などは三振なぞしようもんなら取りに行った自分とは
全く違う方へ投げたりするのだ
こいつうと思ったりするがまあそれも含めて面白い
さてということで映画館には行けないのだ
ホテルムンバイ
文句なしによく出来た面白い作品だった
もちろん実話を元にしたものである
とは言いながら上質のサスペンスの皮をかぶらせて内側に人間の本質を
問いかけてもいる
淡々と描いている
ここがすごいのだ
どこまでが脚色かは分からないが最後のテロップでレストランのボスや主人公であろう
その部下のことは出てこないのであそこは脚色なんだろう
100名を超える無差別テロの死者を出しその半分がホテルの従業員だった
つまり従業員は客を守るために行動し犠牲になったという実話だ
そして今もそのホテルには当時の従業員たちが働いているらしい
レストランのボスが従業員を集めて逃げるか残るか好きなように選べという
感動的なシーンがある
ほとんどが客のためにそしてホテルのために残ると言う
あるウエイター長みたいな年配の従業員は35年もここで働いている
ここは自分の家だ
自分の家から逃げるわけにはいかないと言う
そして客が逃げるのを助けようと撃たれて死ぬ
これらも実に淡々と描かれている
決してヒーローとして描いてはいないのだ
そしてここが重要なのだが
女々しくと言うか粘着質というかお涙頂戴的というか感情に訴えるというか
そのようにも描いてはいない
もちろんあるセレブ富豪の奥さんの目の前で旦那が頭を撃ち抜かれ奥さんは泣き喚く
という感傷的なシーンもある
しかし不思議なことに全体を貫く非情なまでの犯人たちの正義感(彼らには彼らの
信ずるものがある)もしっかり描かれているせいで彼らがその夫を憎くて殺すの
ではないと理解しているためか悲しい気持ちにならないのだ
大した賞を受賞してない
これも不思議だ
テロを肯定はしていないがテロを起こす側の悲惨な必然性みたいなものもしっかり
掬い取っているのでそれが例えば犠牲者側の感情などを刺激するみたいな配慮も
あったのかもしれない(もちろん全くの個人的推論である)
そして昨夜池波宗太郎のBSで放映されたドラマ2本仕立てを見た
確か武家の恥とアホウガラスだったと思う
武家の恥はちょっと端折りすぎの感が強かったがまあまあ
ラストで場違いな歌が流れたのに驚いた
そして歌手はなんと城南海だった
自分は城南海が凄い歌い手(歌手ではない)だと思っている
ヒット曲に恵まれていないようにも思えるがなんとなく彼女は自分の曲で
勝負するようなレベルの歌い手ではないと思えるのだ
彼女の歌は真に聴くものの心を揺さぶるものがある
何を歌っても良い
彼女に合う曲を厳選すれば良い
そう、曲を彼女に合わせるのだ
ドラマの内容が吹っ飛んだ
そして続くアホウガラスが秀逸だった
10年ぶりにばったり合った兄弟を描く
大店の婿に入って主人となった兄と親父の跡を継いでハンコ職人になった弟
過去は特段描かれないが想像させる
よく出来た真面目な兄とどうしようもないやんちゃな弟
あんな展開は池波正太郎でしか味わえない
人情の機微を見事に紡いでいる
そして笑わせる
カラッとしている
湿ってない
それでも泣けてくる
その裏にあるものに気づかせてくれるからだ
凄いなあ
そしてやはり寅さんに通じるものがある
カラッとして湿ってない
それでいて笑わせ泣かせる
これらが成立する要因はなんだろう
思うに技術的なものではない
もちろんストーリーをこねくり回したものでもない
深い体験と人間観察
そして人間愛
彼らがこのように描くのは必然なのだろう
そうあるべきでありそうあるはずと思っているのだ
別に読者や観客の期待を慮っているわけではない
つまりだ
世に山の数ほど映画やら小説やらが有象無象に作られているが
詰まるところはどう作ろうが結局は作り手の人生そのものがそこに
投影されてしまうということに他ならないのだろう
西村某氏の小銭を数えるという小説を読んだことがある
文句なしに面白かった
彼は芥川賞を取っている(その作品は読んでない)
私小説を書いている
彼の人生が良くも悪くもそのまま描かれている
文体に特徴がある
しかし作り物臭さがなくストレートな表現が読む者に何か伝わる
彼の潔さがある
読者に媚びてはいない
(多分誰にも媚びていない)
生きるためか遊ぶためか金を無心するときに媚びることはありそうだが
要はそのような凄絶ともいえる人生体験から滲み出る者(あるいは上澄か)
を持つ者しか真に人の心を揺さぶるものは作り得ないということなのかも
しれない
このような凄い人は今後日本の表現世界に現れうるのだろうか
最後に
ホテルムンバイは素晴らしい映画だ
ただしあの実話があったからこその映画でもある
あの映画を作った監督(もしくは脚本家)が一からあのような作品を
生み出してもらえるなら素晴らしいことだ