瘋癲老人日記
前から一度読んでみたいと思っていた
昭和三十五年の時代の話で、七十七歳の不能老人が、息子の嫁に欲情する話である
話自体は、何かメッセージ性のあるものでも、時代を描いたものでもない
文学的価値が高いかと言われると私には???である
面白いかと言われると面白い
つまりはそういう小説なのだろう
先日、ある小説クラスの知人と話した際、詰まるところ賞に入ったり売れたりする小説というのは、他の人が書いておらず、その人にしか書けない何かが必要だということで一致した
その典型のような小説である
まず持って主人公の老人は、とんでもない資産家であって、そこがすでにして違う
女中はもちろん、運転手や看護師なども家に常駐している
不動産と株の配当収入で暮らしている
東大の教授が往診に来る
もちろん書いている谷崎潤一郎は東大卒である
(当時の東大生が優秀であった保証はない、もちろん今もだが)
しょっちゅう歌舞伎だとかなんだとかを観に行き、一流の店で食事をする
つまりはイヤミなジジイなのである
主人公は自分のことを偏屈で天邪鬼でみたいなことを書いているが、それがまたイヤミである
当時の小説家は、基本的に働かなくても良い身分であったがゆえに、物書きにでもなろうとしたフシがある
それは僕の理解ではこうだ
恵まれすぎていることが一つ、つまり取り立ててやることがない
そのような家は色んな意味で複雑である、つまり屈折する
屈折してやることがなければ書くことくらいしかないだろう
当時は他に大した娯楽もない
まあ酒やタバコにヒロポン?あとは女、そんなとこかな
太宰治なんぞはその典型だろうし
谷崎潤一郎も似たようなものだが、屈折率とその指向性が違っていただけ
少し脱線してしまった
実はもっとエロティックな内容ではないかと思っていたのだが、意外にそうでもなかった
足を舐める程度のことだが、またそこに品みたいなものを感じさせるところがイヤミである
もちろん世の中のジジイのほとんどは息子の嫁の足など舐めない
だからこの小説が成立しているのだ
金持ちの不能のジジイが、息子の嫁の足を舐める話
ただそれだけのことである
しかもどうも実話らしいというのが肝心なところであって、フィクションではないところに読者の興味を掻き立てる
ただ、これらが成立するのは、作家の名前が売れてからであることは言うまでもない
またまた脱線してしまった
やはりこれは私小説ゆえに多くの読者を惹きつけたに違いない
倒錯した老人の性の世界なんて話は、多分に刺激的だったろう
しかも資産家で教養がある死にかけの老人という設定、これもユニークであって、例えば日本の庶民がイギリス王室のことに興味を持つみたいなことだろう
で、結論
面白く読んだが好きではない
そして谷崎潤一郎自体も嫌いである
そもそもこういう男が好きではないのだ