ちょいとしつれいします

映画や本や趣味などを失礼ながら好き勝手に綴ります

沈黙のアリバイ

横山秀夫氏の作品をドラマ化

 

小説でも読んだことがあったけどドラマはまた違った面白みがあって楽しめた

 

ちょっと調べてみると、横山秀夫氏は『半落ち』で、選考委員や出版社と色々とすったもんだし、結果、直木賞とは絶縁宣言したらしい

詳細までは知らないが、リアリティがその原因だとか

 

それはそうとして警察小説を書かせたらやはりこの人の右に出る人はいないと思わせるなあ

警察にいた前歴はなさそうなのにどうしてここまで書けるのだろう

やはり記者時代の取材とか付き合いがあるのかな

 

刑事ものや弁護士もの、あと医者ものなどは、一般市民がよく知らない世界ゆえに興味を惹かれるんだと思う

よく知らないからこそ、ツッコまないし、へえなんて思えるし

多少、事実誤認していたって、まあ許されるというか(失礼)

要は受容度が高いんだな

 

その点、よく知っている世界になると、俄然、ツッコミが多くなって、こんなわけないとかなるから、かえって難しくなる

恋愛ものなら別だけど

 

そうか、それで気づいたぞ

純文学は、あくまで書き手の視点で、好き勝手に書いて、その文章表現の巧みさが評価されたりする、いわゆる『詩』として捉えられるのだろう

難解な表現でも、何となく感じたり、共感するところで、創作のレベル(芸術性)を見極める

一方、エンターテイメントは、あくまでフィクションとしても物語のレベルが重要になる

ハラハラドキドキ度だったり、抱腹絶倒度だったり、難解な謎解き度だったりする

ただ、そこには一定のリアリティが必要となる(ファンタジーは別として)

そうじゃないと感情移入できないから

現実にはいそうもない、はちゃめちゃな刑事や弁護士や医者が許されるのは、その世界を一般市民が知らないゆえに過ぎない

 

だから、純文学なら、ストーリー性ではなく、詩的な文章表現を折り込まないといけないし、特殊な業界とか設定じゃないとエンターテイメントは面白くならない

 

もっとシンプルに言えば、純文学は情景と感情をどう詩的な(個人的かつ個性的な!)文章表現で表せるかどうかで、エンターテイメントは、ストーリーの上下動(それも大きければ大きいほど良い)巧みさとそこに人間味溢れる人物造形(共感!)が必要となる

 

さらにさらにシンプルに言えば、純文学は詩であり、エンターテイメントは共感なのだ

 

戻ろう

その点で、この作品は、謎解きとハラハラドキドキに加え、刑事への共感が見事に描かれている一流のエンターテイメント作品に仕上がっているわけだ