ちょいとしつれいします

映画や本や趣味などを失礼ながら好き勝手に綴ります

三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実

面白かった

 

小説を書くようになって三島由紀夫に興味を持った

 

市ヶ谷で自決したくらいの情報しか持たなかった

 

学生運動についても大した知識を持たない

 

僕はまだ小学生の頃だろうと思う

 

イデオロギーの対立と思い込んでいたけれど映画を見てそれだけではないのだなと思った

 

感じたままを書く

 

基本的に僕はノンポリである

 

右翼だとか左翼になんの興味もない

 

ある意味利己主義的な人間なのかもしれない

 

三島由紀夫は東大講堂で行われた討論の最後を、君たちの熱量だけは信じると言って去った

 

僕はこれが強く心に残った

 

途中の、学生たちとの討論などは、全く興味もないし、意味もないと思った

 

所詮は学芸会であるとまで思った

 

ただ若い頃はあのようなものだとも思った

 

僕もそうだった

 

あの時代に大学生なら僕も参加していたに違いない

 

それは若さゆえの熱量なのだ

 

自分の視点や思考や論理が正しいと信じ、発言し、行動し、戦える熱量である

 

国のためでも誰かのためでもない、自分自身のイデオロギーゆえなのだ

 

三島由紀夫はもちろんそれを知っている

 

知っていてあのような討論会に参加した

 

討論で学生たちを打ち負かせるとは多分全く思ってはいない

 

なぜなら学生たちは自分自身こそ正義と心から信じているからだ

 

ではなぜ三島由紀夫は参加したのか

 

しかもなんの意味もないあのような議論にまともに受け答えをしたのか

 

これも僕の想像にしか過ぎないが、三島由紀夫はそれをしたかったのだ

 

楽しかったと言っていたと楯の会の人が言っていたがきっとそれは本心だ

 

何か成果物を求めたわけではなく、青っちろい議論を楽しみたかったではないか

 

あるいはあのような学生たちの中にどんな真実があるのかを見てみたくなったか

 

その結論が、最後の言葉に集約されているように思える

 

君たちの熱量だけは信じる、あとは何も信じないと言ったあの言葉

 

要するに三島由紀夫は、結局のところ、何かの真実があるとすれば、それは正義とか論理とかではなく、若さゆえの熱量だけだったということである

 

それは多分元々三島由紀夫が想像していたことでもあっただろう

 

なので、ある意味期待通りでもあったし、落胆でもあった

 

予想通り議論は楽しんだが、予想通り熱量しかなかった

 

そしてそれは50年経った今、歴史が証明している

 

三島由紀夫は自分のイデオロギーの元に死んだ

 

学生たちは全てが生き残ってのうのうとこの日本で今も暮らしている

 

これが答えだ

 

一人芥何某という人が、芸術家として今も変わらぬ活動をしているようだが、つまるところ彼は自分が変わらなかっただけで何も変えられてはいない

 

その意味においては他の学生たちと大きく変わるものでもない

 

全共闘東工大名誉教授の橋爪某という人が最後に述べている

 

行動はいつか終わる、終わっても憶えていて何事かを続けることに意味があり、例え負けたとしても死んでしまったら憶えてはいられない、だから生きている、そして自分はそれを続けていると

 

こんな情けなく、恥ずかしく、潔くない言葉があるだろうか

 

こんな大人になりたくなくて学生たちは行動を起こしたのではないのか

 

この言葉を三島由紀夫が聞いたら、やっぱり熱量さえなくしたどうしようもない大人になったかと大笑いするだろう

 

そういえば、もう一人の元全共闘でリーダー格の人も思い出を述べていた

 

三島由紀夫から電話が掛かってきて、楯の会に入らないかと誘われ、中途半端な受け答えをしたら、そばに誰かいるのかと聞かれた

 

奥さんがいると言ったら代わってくれと言われ代わった

 

奥さんと何事かを話していたが、最近になって奥さんがその中身を話してくれた

 

あなたは旦那さんを愛していますかという質問に愛していますと答えたと言う話だ

 

この話の意味をどう彼が捉えているかは語らなかった

 

僕はこう思う

 

中途半端な受け答えをした時点で、三島由紀夫は彼を見抜いた

 

行動を起こせる人間ではないと

 

ただ近くに仲間がいて答えに窮した可能性もある

 

そのために聞いたら仲間ではなく奥さんだと言った

 

三島由紀夫が奥さんと話したのは彼への気遣いだろう

 

頭の良い彼はそれを分かっているだろう

 

そして奥さんも

 

悲しいエピソードである