川端康成「片腕」と大江健三郎「空の怪物アグイー」
川端康成の「片腕」と大江健三郎の「空の怪物アグイー」なる短編を読んだ
どちらも衝撃的な作品だった
実を言うとどちらの著者の作品を読むのはこれが初めてである
「片腕」にはフェチが描かれている
少女に対する強い憧憬が彼にはあるのだろう
しかしながら臆することなくあのような作品を書くことに芸術家としての凄みを感じさせる
書かずにはいられないのかもしれない
川端康成は服毒による自死でこの世を去るが、盟友である三島由紀夫があのような形で去ったことも、このような作品を晩年で発表したことも、元々の精神構造と何らかの関係があるようにも思える
「空の怪物アグイー」は、哀しみを描いている
慟哭と言っても良いかもしれない
子供を喪った深い哀しみであり慟哭だ
大江健三郎の子息に関連しているような気もする
僕の大好きな志賀直哉は、父との葛藤や、女性、特に奥さんとの関係を描いている
皆、自分の抱えているものを吐き出している
そこから自由になろうとしているかのようだ
その重さが芸術としての重さや深さになっている
では、同じような経験がないと共感できないのだろうか
多分そうではないと思う
誰にも「経験」そのものではなく、普遍的なものがあるからだ
それが共鳴する
そう、共鳴するのだろう
己の中の何かが共鳴し、深いところで感じるものがある
例えちょっとした心の痛みでも同じ
それを彼らは表現した
その表現の素晴らしさに感嘆するのだ