ちょいとしつれいします

映画や本や趣味などを失礼ながら好き勝手に綴ります

9人の翻訳家 囚われたベストセラー

WOWOWで観た

 

まずまず楽しめた

 

どんでん返し的なサスペンス映画の一つだろう

 

少し展開が遅いのと難解かなとは思うが秀作ではある

 

どちらかというと映画より小説向きの内容かな

 

つまり映像化にはあまり適さない

 

主人公の心象風景が最も重要だから

 

勉強にはなった

 

このようなストーリーを思いついたとして自分なら小説にするか脚本にして映像化するか

 

やはり小説だろうな

 

映像化は難しいと思える

 

でもその難しい映像化をうまくこなしていたように思った

 

舞台がヨーロッパと言う利点はある

 

つまり街並みや建物、人物など映像そのものが美しいからだ

 

日本で撮ったら暗い映画になるだろう

 

ただ日本語タイトルがいただけない

 

もう少し洒脱なものがなかったか

 

元々のタイトルはThe Translators、翻訳家だ

 

こっちもイマイチだ

 

デダリュスでいいではないか、こっちの方がよほどしっくりくる

 

なぜなら世界的ベストセラーとなりうるデダリュスと言う本を巡って展開するストーリー

であり、デダリュスが物語の出発点であり、全ての鍵となっているからだ

 

これ以外にタイトルはないだろう

 

翻訳家ははっきり言って刺身のツマ扱いされているし、翻訳家にフォーカスを当てるつもりもないようだし

 

出版社の社長が金儲けに目がくらんで、翻訳家を蔑ろにすることを責め立てるようなくだりもあるが、そこまで文学や翻訳家に対する愛情を感じる映画でもない

 

一人の女性翻訳家自分の過去を独白しその結果、自殺する展開も入ってきたりするがあれも余計だ

 

後半になってなるほどと思わせる展開になり観終わってああそうだったのかと思えるのだがハラハラドキドキは感じない

 

蕎麦そのものは非常に美味しいが、つゆがイマイチみたいな感じか

 

世間の評価を見ても大体一致しているように思う

 

自分ならどうするかと考えてみた

 

まず社長の鞄をすり替えるところからスタートさせる

 

つまり犯人は最初から分かっていたとする

 

これは犯人探しの物語ではない

 

犯人がなぜこれほどまでに手の込んだ仕掛けをしたのかが主題の物語だから

 

そこをもっと重厚に描きたい

 

つまり主人公と小説家との関係だ

 

幼少期からの関係性をもっと深く濃く描く

 

もちろん主人公の家庭環境なども

 

9人の翻訳家たちが地下で閉じ込められて仕事をするなんてのはどうでも良いのだ

 

元々リアリティがないし

 

惜しい作品の一つ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

将棋指し 米長邦雄

続いて米長邦雄

 

何度も中原名人に挑戦して敗れ、最後の最後で名人を獲得した大棋士

 

面白い話が一杯ある超魅力的な将棋指し

 

男ばかり4人兄弟の末っ子で兄3人がみな東大に進学した

 

記者かだれかに、あなたはなぜ東大に行かず将棋指しになったのですかと聞かれ

 

兄はバカだからと答えた

 

これは超有名な話だが、実は真偽のほどは明らかではない

 

たしか何かの本で米長邦雄はおれは言ってないと書かれていたように覚えている

 

でも彼ならいかにも言いそうだから面白い

 

他にもある

 

将棋教室か何かに来ている学生さんの母親が就職の相談にきて

 

将来のためにも安定した良い企業に就職させたいがどこがいいと思うかと聞かれ

 

それなら、一番は新興宗教の教祖、次は詐欺師と答えたとか

 

米長邦雄独特の感性なのだろうがもちろん本音は将来のことなんぞ分かりませんよ

程度の意味だったと言われている

 

あと、ストレスが溜まるとラスベガスに行ってギャンブルし、大浴場の床にスッポンポンで寝転び「お〇〇こー!」と大声で叫ぶのだそうだ

 

まあこれも真偽のほどは定かではないが

 

中原名人と並んで一世を風靡した人だった

 

ところがだ

 

これも河口俊彦氏によると晩年、つまり名人を羽生善治に奪われA級を陥落した後のことになるが

 

少しずつ変節していったようだ

 

将棋指しというのはある意味強く勝っていればこその華であって負けが混んでくるとそれはそれはなんだか嫌な人格になるそうな

 

でもそれも含めて人間らしいしある意味率直で純粋であるともいえる

 

最後に

 

かの有名な?中原名人と浮名を流した林葉直子女流棋士は米長門下であるが、彼女が女流名人をとったときの就任式で師匠の米長邦雄は挨拶に立ったがなんとそこで

 

彼女に破門を言い渡したのだ

 

???という話であるが1984年に将棋マガジンに掲載された米長邦雄林葉直子に宛てた手紙の内容があるのでそこから類推すると

 

彼女の将棋に対する姿勢や私生活の乱れなどが破門となった遠因と思えるのだ

 

女流名人を取ったとはいえ、本来は奨励会に入っていて男と同様の女性初プロ棋士を目指していた林葉直子が、しっかり修行に打ち込まずダラダラしているのを叱っている内容になっていてこのままなら破門すると書いている

 

となると林葉直子の将棋の才能は大したものであるとも言える

 

当時としては美形でもあるし華があったことは間違いない

 

融通無碍で奔放な米長師匠ならよしよしと言いそうなものだがさすがにこと将棋になるとそうはいかないのだろう

 

もう一つ

 

彼女が出版に際してお世話になった人に挨拶に行かなかったことに対して、感謝も出来ない人間はダメだというようなことも書いている

 

いずれにせよ、将棋の修行に身が入らず、人としての大切は振る舞いも出来ないのであれば許せんということか

 

しかし就任式の挨拶で申し渡すというのが米長邦雄らしいといえばらしいか

 

いやあ面白い

 

 

 

 

 

 

 

将棋指し 芹澤博文

その昔、大橋巨泉氏のクイズダービーだったかと思うが、芹沢名人という愛称で呼ばれた将棋指しが芹澤博文である

 

将棋指しではなく芸能人と勘違いしていた人も多いかと思う

 

天才肌の棋士で、酒、ギャンブルなど何でも来い

 

話術も洒脱で棋士の中では抜群の知名度と人気があった

 

河口俊彦氏の書籍によって、自分が抱いていた芹澤博文のイメージが大きく変わった

 

山口瞳氏との交流も深く、血涙十番勝負という名著には、ある日、芹澤が自分は名人になれないと悟っておでん屋で泣いたという下りがある

 

それを山口氏や米長邦夫棋士が慰めたと

 

自分のイメージは多才ゆえの挫折であったかのように思っていた

 

河口氏によるとどうも違うようだ

 

大名人である大山康晴を始めとした本格派棋士から自分の将棋は認められていないと劣等感のような感情を抱いていたとある

 

たしか、プロの順位戦制度をおかしいと言い、C級2組まで落ちたうえ故意に負け続けたのではなかったか

 

その際には気骨のあるひとだなくらいに思っていたがこちらも何となく違っていたようだ

 

それでも異彩を放ち魅力的な将棋指しであったことは間違いない

 

51歳という若さでこの世を去った

 

友人である河口氏には、お前の2倍生きたから十分だと言ったそうだ

 

こういうところ芹澤博文らしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の傾向

最近の若者は集中力が落ちているらしい

 

スマホの影響ともいわれているようだ

 

スマホの画面を長時間見続けていると当たり前だが目が疲れる

 

目が疲れれば集中力が落ちるのは当然といえば当然である

 

しかし数年前から自分はある傾向を感じていた

 

それは圧倒的な情報量を処理するスピードが必要な社会に対する人間としての反応の変化だ

 

たとえば自分がビジネスマンであったちょっと前、一日に来るメールは少ない時で50通、多いと100通を超えていた

 

すべてをきちんと読んで対応していたらメール処理だけでも一日は終わらない

 

そこに会議や打ち合わせなどが分刻みで入る

 

予定がブッキングすることなどしょっちゅうだ

 

優先順位を考えることさえままならない

 

ではどうしたか

 

判断のスピードを上げるしかないと思った

 

いわゆる即断即決というやつだ

 

たとえばメール

 

表題を流し読みしどの程度の重要度かを即断しその場で処理する

 

会議や打ち合わせは会議設定者に半分の時間にするよう指示する

 

一案件にかける時間を短くするしか方法はないのだから

 

要は本当に必要なものに時間をかけられねばならない

 

そぎ落とさねばならない

 

今の若者がスマホから得る情報量も半端ないだろう

 

じっと全てを読む時間などない

 

流し読み一瞬で自分に必要か、興味があるかなどを判断する癖というか能力というか

そのような情報処理に慣れてきているのではないだろうか

 

自分もそうなってしまっている

 

映画などは最初の15分で判断する

 

最初の15分でこれはと思えなければすぐ止め、録画であれば消してしまう

 

なかには中盤から盛り上がる良い映画もあるだろうが、あくまで私見で恐縮ながら最初の15分でダメな映画はほとんどダメ(だった)

 

将棋でいえば(おかしいが)序盤をいい加減に戦うと負けが決まっているようなもんだ

 

マンガの人気が出る背景にも同じようなことが言える

 

マンガは基本一話ずつの構成になっている

 

スマホで読むのに最も適した形態だ

 

ちょい読みというやつだ

 

小説などもその傾向にある

 

ネット小説に適するのは短編であり一話構成だろう

 

本が売れないわけだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

升田幸三の孤独

河口俊彦氏の升田幸三の孤独を読んだ

 

人間味溢れる棋士、というより将棋指しと言う方が当たっている

 

自分の大好きなひとたちだ

 

どこか破滅的な匂いがする

 

自分にもそういうところがあるのだろう

 

惹かれる

 

もともと将棋というゲームには賭けるという要素があってそれによって稼いでいる職業を真剣師(師という漢字をあてているところが不思議で面白い)と呼ぶ

 

将棋のルーツはインドと言われている

 

最古の将棋の駒は平安時代に遡る

 

その後徳川幕府の時代に御城将棋となって大橋家など御三家が家元となる

 

その後明治に新聞棋戦となり徐々に将棋界は発展していく

 

まだまだ現代の隆盛に至るまでには紆余曲折の歴史があるがまたの機会に

 

升田幸三が活躍していた戦後の将棋界はやはり将棋指しの時代であったようだ

 

河口氏は本の中で多くの高名な将棋指しが酒で死んでいったと書いている

 

日頃は厳格で立派な棋士が酒を飲むと豹変し大暴れしたり、今でこそタイトル戦で

酒を飲むなんてことはないが、昔は普通にあったようだ

 

多能で天才肌の芹澤博文八段はもともとの酒好きに加え、ある日自分が名人になれないと気づき、酒で死のうと志したのは有名な話だ

 

将棋指しと酒は切っても切り離せない時代だったのだ

 

木村義雄から名人を奪い、長期間に亘って名人として君臨した大山康晴は下戸だったらしい

 

それが良かったのだろう

 

いつの時代に将棋指しが棋士となっていったのか

 

自分の私見に過ぎないが棋士でいえば中原誠からではないだろうか

 

もちろん大山康晴は偉大で不世出の大棋士ではあるが時代はやはりまだまだ将棋指しといっていいように思える

 

もちろん中原誠の時代にもユニークで型破りの棋士はいたがやはり升田幸三の時代に比べると破天荒ぶりが異なる

 

そして谷川浩司羽生善治とつながっていく

 

自分としては、羽生善治の出現によって将棋は競技ではあっても意味が変わったと思う

 

将棋は将棋道という道になったと

 

将棋は勝った負けたから究めるものになっていった

 

もちろん勝ちたいという気持ちに変わることはないが道として自分自身を高めることがそのための大きな手段の一つになった

 

羽生善治の本を読むとそのあたりの消息がよく現れている

 

自分に克つ

 

自分に克てねば将棋に勝てない

 

まさしく道だ

 

そしてすべての競技の本質は道だということが理解できる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

将棋の子 ふたたび

将棋の子

 

感動が深い

 

もちろんノンフィクションであるし、実話ならではの迫力が凄い

 

どんな世界にも厳しさや大変さは存在するが、奨励会ほどの過酷さはどうだ

 

幼少期から将棋一筋で25歳までやってきてプロになれない、つまり将棋(対局)でメシを食う道を閉ざされる

 

この自分自身に対する無力感や情けなさ、挫折の深さは想像に余りある

 

ただ一つ

 

この本に書かれている受け売りだが、だからこその希望があると

 

将棋そのものは楽しいものであり厳しいものではない、そして自分たちが将棋に献身したそのことそのものを誇りと思うようになる

 

奨励会を去って行った者たちがそういうことに気づくのには時間を要する

 

でもその時間と経験そのものが宝物だったと気づくときがくると

 

希望の物語なのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筒美京平氏を知った

齢80にして逝去された筒美京平氏のことを初めて知った

 

凄い作曲家だったんだな

 

ニュースで見たが自分の作りたいものより売れる(ヒットする)ものを作るという

言葉だ

 

作りたいものが出来た喜びより売れる喜びを取ったというような表現

 

これぞプロの面目躍如か

 

小説や脚本の手習みたいなことをしているわけだが自分としては趣味程度のもの

なので好きなことを好きなように書いている

 

しかし一方で世に出したい、見てもらいたいという密やかな欲求もある

 

自己顕示欲か承認欲求かまあなんでもいいのだが

 

そうなると自分の描きたいものが読み手からして共感したり興味があったり面白いと思って

もらえるかどうかが重要になってくる

 

筒美京平氏の作曲の特徴の一つは、口ずさみやすいフレーズにあるそうだ

どこか耳に残る、馴染みがある、覚えやすいなど

 

言うのは容易いが作るのはそうそう簡単ではないだろう

 

それが出来ないからみんな困ってるわけで

 

ただ最近気づいたことがある

 

大好きな寅さんや鬼平の共通点はキャラクターと人情味にある

 

あくまで個人的意見だが寅さんの場合は、実は寅さん一人では成り立たない

さくらやおじちゃんおばちゃんなど団子屋の家族がいないとダメだ

和食で言えば素晴らしく上手く炊けているご飯か

 

あの寅さんと家族のやり取りが料理のメインだ

マドンナははっきり言って美味しいおかずであろう

 

ずっと見てきてマドンナがメインに描かれている作品もあるにはあるが

正直魅力に欠けてしまう(山田洋次監督ごめんなさい)

どんなに美味しい和食でも美味しいご飯がなければ満足度が落ちるみたいな

ものだ

 

寅さんのキャラも実は単純そうで複雑だ

人生の機微が分かった単純さを持っている

これを映像で描くことは多分ものすごく難しいだろう

寅さんが単発映画だったらここまでは出来なかったんじゃなかろうか

 

鬼平の場合はなんと言っても盗賊の魅力がメインになる

そこに鬼平の凛とした強さとほろっとさせる人情味が絡み合いなんとも言えない

味となっている

鬼平の奥さんや部下とのやり取りなども登場するがこれも刺身のツマのような

もので決して深くは描かれない

描いてしまうとせっかくのメイン料理が美味しくなくなるからだ

 

両方ともメリハリが効いている

そして見る者を楽しませる

 

ここに見る者、読む者が面白いと心から思えるヒントがあるように思えるのだ

 

要はキャラと人情

 

鬼滅の刃というアニメが大ヒットだそうだ

 

読んでないからよくは知らないが映画を見たタレントさんたちの感想を聞いていると

人生の様々な要素が盛り込まれているらしい

 

つまりは単純な鬼退治物語ではないということだ

 

よく出来た物語というものは全てその要素を包含している

 

そして人生の様々な要素が集約されるものこそ「人情」ではないか

 

人情は英語でHumanityとなる

 

人そのものではないか

 

人類が普遍的に持っているものであり深い愛が表現されたものと言えるかもしれない

 

筒美京平氏に戻ろう

 

氏は音楽でそれを表現する稀有な能力に恵まれていたのではなかろうか