ドライブ マイ カー
原作、映画、共に読み、見た
映画は原作を大きく脚色している
ただいずれにせよ、元々の原作で語られる、あるいは示唆されるコアな部分は薄っぺらいと言わざるを得ない
人の心の真相に迫っているようでいて表層をなぞっているに過ぎないように思えてしまう
ハルキストには申し訳ないが、彼の作品には往々にしてそれを感じることが多い
音楽、酒、洒脱な台詞、過剰な比喩・・そのような「文学的」表現が連なり、それが彼独特の世界を作り出していることは間違いない
しかし、それ以上でも以下でもなく、何もそこに残さないし残らない
そこに真実の一滴が存在していないからではないか
上澄とも思えるそれが面白いのかもしれないが
原作を全く忘れていたので、映画を見た後、改めてまた流し読みをしてみた
やはり同じ思いがした
彼のテーマはセックスだろう
もちろんセックスが悪いとかではない
しかしセックスを文学の高みにまで昇華させられてはいない
単なる題材としてしか扱っていない
ドライブマイカーなる短編集を読んだ時、正直に言うなら気持ちが悪かった
一人称単数もそうだった
自慰的なのだ
それでも凡庸なものを非凡に繕う技術に優れているのだろう
大衆受けする流行り作家であり、歌謡曲のようでもあり、誰もが一度は口ずさむが、いずれ時代と共に忘れ去られるだろう
そこには真実の一滴がないから
セックス、音楽、絵画、酒・・・同じような台詞の羅列
いずれにせよ、彼の魂の叫びはそこには存在しない
文字の羅列があるだけなのだ
さて、映画に移ろう
残念ながら映画も駄作だった
アカデミー賞は話題性だけかと思わせた
原作を大きく脚色し、主人公の家福の心の痛みを、より分かりやすくストレートに表現しようとしたようだが、それがうまくいってないように思えた
原作を読んでいなければ、全くわからないだろうから、ラストの北海道のシーンで、ドライバーの女性に対して、告白めいた台詞があり、最も盛り上がるところなのかもしれないが、あそこが最もダサい
感動のかけらもなく、共感も生まない
あれを映像で表現せねば何のための時間だったのか
全く理解できない
ちなみに、村上春樹氏の原作「納屋を焼く」を、名匠、イ・チャンドン監督が映画化した作品「バーニング」があるが、あれを見てしまうと、今回の「ドライブマイカー」がいかにレベルの低いものであるかがよく分かる
大きく脚色してはいるが、見事なまでの映像表現となっていて、原作を遥に凌ぐ
全ての不要で過剰な表現が剥ぎ取られ、一編の素晴らしい詩、もしくは、一幅の名画を見ているかのようだ
もう何年も前に見たにも関わらず、いくつかのシーンとストーリーをありありと思い出せる
それほどのインパクトがあった
一昨日見たドライブマイカーに至っては、すでに、多くが思い出せないのとは対照的である
結構長い映画だが時間を感じさせない
翻ってドライブマイカーは何度も残り時間を確認するほど退屈だった
厳しいが本音である